第六話「硝煙の記憶」
「どうして、こんなことに…………」
ミルトン・アッシュ少年は、暗闇の中で喘いだ。
汗と埃にまみれ、流した涙の跡で頬が強張る。
三人がいるのは使用されていない第八倉庫の中。鉄筋の影に身を寄せ合い、息を潜めていた。
セシャトの宇宙港に辿り着いたまでは良かったのだが、三日間もの間、上陸許可がおりずに足止め。その間、応対に出るのはアンドロイドばかりで誰もが不安に思っていた。
そして三日目の夕方、不審なロボットの一団が船を取り囲み、乗員を襲い始めたのだ。
「もう少し早く、異変に気がついていれば………」
ミルトンの傍らで、アルフレドが苦悩の表情を浮かべていた。
そして二人の間には、カノンの姿があった。目は虚ろ、顔面蒼白で呼吸は浅く、胸が小刻みに動き、せわしない。ロボット達が居住区を襲ったとき、隔壁が破裂してカノンの背中を襲ったのだ。表からは分からないが、カノンの背中は爆風と、それによって飛ばされた破片でずたずたになっていた。しかも、大きな破片が背骨近くに突き刺さり、カノンの身体を麻痺させている。
「でも、どうしてロボットが僕達の船を襲うんだろう?三原則は一体………?」
気遣わしげにカノンの様子をうかがいながら、ミルトンが呟く。
「そんな事は分からない。でも、俺達に敵意を持っていることだけは確かだ」
アルフレドは考えをまとめようとするが、まるで情報が無く、どうにもならなかった。ロボットにプログラムされた三原則はどうなっているのか?仮に、全てのロボットが狂っていたとしても、セシャトの警察機構は何故動かないのか?船が襲撃されていることが分からない筈がない。それとも、この星にとって、我々は望まれざる帰還者なのか?だが、何故?
「何れにしても、カノンを何とかしないと。このままじゃあ、出血が酷くて死んでしまう………」
堂々巡りの考えに割り込むように、ミルトンが切迫した声を出す。
「無茶を承知でここを出よう。医療室でカノンを仮死状態にして、冷凍保存するんだ」
アルフレドは即答した。他に方法が思いつかないのだ。
「それで、カノンは助かるの?」
不安な表情で問い掛けるミルトンに、アルフレドは僅かな苛立ちを覚えたが、この状況で自分まで感情的になるわけにはいかない。必死で自分を制御するアルフレド。
「いや、分からないが、今のテランの医療技術は俺達のものよりはるかに優れている筈だ。何とかなるかも知れない。いや、なんとかするんだ!!」
アルフレドの言葉は、ミルトンに向けられたものと言うより、自分自身を言い聞かせる為のものだった。
「………わ、…たし、………死ぬの?」
息も絶え絶えに、カノンは喉から言葉を絞り出す。視界がかすんでいるのだろう、目は虚ろで、あらぬ方向を見つめている。
「そんな莫迦な事があるものかっ!!!」
ミルトンがヒステリックに叫ぶ。
「心配ない、必ず助かる。今のテランの医療技術は百年以上も進んでいるんだぜ」
アルフレドは錯乱気味のミルトンを制し、カノンを優しく勇気づけた。
「…………パパや、…………ママは?」
カノンの問い掛けに、言葉を失くす二人の少年。
「………心配ない、………心配ないさ。俺達が逃げ遅れただけで、他のみんなは無事さ」
アルフレドの頬を再び涙が伝う。傍らではカノンに気取られまいと、ミルトンが声を殺して泣いていた。
「ともかく、一刻も早く医療室に行こう。カノンを動かすのは危険だが、このままじゃ、どうにもならない」
アルフレドは決然と立ち上がると、ぐったりとしているカノンを背負った。ミルトンも涙を拭うと、それに従う。
三人は扉に近づくと、慎重にそれを押し開いた。
早鐘のように鳴る心臓。
壁際の情報端末から、外の情報を引き出すこともできたが、連中に気付かれる危険性もある。わずかな隙間から外の廊下を覗くが、別段これと言った変化はない。
意を決したミルトンは、えいとばかりに大きく扉を開くと、手で顔を覆い、身を強張らせた。
しかし、何事も起こらない。
不気味なくらいに静まり返る廊下。
三人は恐る恐る進み、プロムナードの入り口に辿り着いた。医療室はプロムナードの反対側にある。
プロムナードは、まるで凄惨な襲撃など無いかのように、穏やかで、平安に満ちていた。
太陽光パネルからは暖かな光が溢れ、街路樹は目に痛いほど青く生い茂っている。
一瞬、今までのことは全て夢だったのかとさえ思えたが、カノンの荒い息づかいが現実に引き戻す。
物陰に隠れながら、三人は人気のないプロムナードを進んだ。
すると反対から人影がやってくるのが見えた。三人は慌てて茂みの中に身を潜めた。軽い、金属音の足音が響き、それがロボットのものだと分かる。
「ちっ、これでおしまいなんて、なんだかあっけないよな………」
無機質な機械音声が洩れる。姿を現したのは二体のアンドロイドだった。どちらも似たようなシルバーグレイのボディーを持っているが、片方はやや鋭角なデザインで頭部が尖っており、視覚センサーが顔を十字に走っている。もう片方はややずんぐりした感じだが、頭部に突起が数本見られる。
とんがり頭がスピーカーを鳴らす。
「なに言ってやがる、もうあらかた片づけちまったろう?隠蔽工作にも限界がある。これ以上は流石にテランに隠し仰せないさ」
やはり、何らかの隠蔽工作がなされていたか。ミルトンとアルフレドは、息を殺しながらも耳をそばだてた。
「テランにばれようが、どうって事はないだろう?」
棘頭は嗜虐性が強いらしく、人間狩りを続けたいらしい。よく見ると手は血にまみれ、ボディーにも血痕が付着している。
それを見つけたミルトンは、怒りで頭が熱くなり、喉に圧迫感を感じた。そして、そのどす黒い怒りの底に、深い悲しみも滲み出す。
「テランはともかく、回帰主義者が問題なんだよ。奴らは隙あらば機械化文明を転覆しようと企んでいる。その為にこの船を襲撃したんじゃないか。この船の乗員は奴らの格好の広告塔になる」
「なら、尚のこと、一人として生かしちゃおけないんじゃないか?」
理性的なとんがり頭に対して、棘頭は尚も食い下がる。しかしながら、理はとんがり頭にあった。
「だから、その為にこの船を爆破しようと言うんじゃないか。早くこの船を出ないと、俺達まで………」
その時、痛みによるものなのか、カノンが低く、小さな呻き声を立てた。
一瞬のことであった。ミルトンとアルフレドは二体のアンドロイドが気付かないことを、必死で祈った。
が、しかし、二体のアンドロイドは、その小さな息づかいを聞き逃さなかった。
「ほほう、これはこれは……………」
三人の隠れる茂みへと、二体のアンドロイドはゆっくりと歩を進めた。
「さ、出てきてもらおうか?」
アンドロイドの一体が、愉悦を含んだ声で命ずる。
「出てくる気がないなら、それはそれで面白い」
二体のアンドロイドはそう言うや、茂みの中をかき分けて、三人の元へと襲い掛かった。
恐怖のあまり、顔を覆うミルトン。
が、何事も起こらない。
「な、なんだぁっ!?コイツはぁっ!?」
アンドロイドの怒声に、ミルトンは恐る恐る顔を上げる。
一体のロボットが、凶悪なアンドロイドの前に立ちふさがっていた。
「ガキ共、どうにか生きてるようだな?」
聞き覚えのある奇妙なしわがれ声。声の主は、パーラーの主、トーマス・プラチナムであった。
「駄目だよ、トーマス。カノンが死んじゃいそうなんだ!」
ミルトンが訴える。心強い味方の登場に、張っていた気が弛み、目頭が熱くなる。
「…………嬢ちゃん」
青ざめた表情の少女に、トーマスは視覚センサーをちらりと向けた。
「このいかれ歯車がっ!!人間様の命令だぁっ!!そこをどけぇっ!!!」
アンドロイドの一体が苛立った音声をトーマスにぶつける。
ミルトンは耳を疑った。
人間様?一体、どういうことだ?
「それはできない相談だ。アンドロイド工学三原則第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、危険を看過することによって人間に危害を加えてはならない」
トーマスは立ちはだかりながら、毅然とした調子で答えた。
「何を生意気なぁっ!!お前達ロボットは、人間の命令を聞くように作られているはずだっ!さあ、そこをどけっ!!」
しかし、トーマスは頑として動こうとはしなかった。
「三原則第二条は、確かにそのように唄ってはいるが、残念ながら、第一条は第二条に優先する」
「な、なんて偉そうなんだ。こいつ、本当にロボットかぁ?」
暴漢の一人が首を傾げる。
「ガキ共、何してやがるっ!!とっとと行かねえかぁっ!!!」
トーマスに叱咤され、ミルトン達は弾かれたように走り出す。
「あっ、こらっ!!待ちやがれっ!!」
ミルトン達に手を伸ばす暴漢。
が、次の瞬間。
トーマスの鋼鉄の拳が堅く握られ、暴漢の一人、そのこめかみに撃ち込まれた。
紫電が弾け、頽れるサイボーグ。
「へへへ、俺様も、………ルシフェル同様、いかれちまったらしいや」
トーマスの電子頭脳から白い煙が漂う。電子頭脳に組み込まれた自制回路が働き、トーマスの電子頭脳を焼き切ったのだ。繊細な作りの電子頭脳は、もう二度とその働きを取り戻すことはない。
トーマスは死んだのだ。
かすかにクレゾール臭の漂う医療ルーム。
部屋全体が明るく照明されており、白を基調とした作りは些か神経質なものを感じるが、今、この状態ではむしろ安堵感を感じる。
二人の少年は、早速カノンを医療用ポッドに入れた。自動医療システムにより、取り敢えずの手当を済ますと、少女は仮死状態にされた。
「これからどうする?」
アルフレドがミルトンに問い掛ける。
「えっ?ど、どうするって言われても………」
ミルトンは返答に窮した。ここまでアルフレドに頼りっぱなしで、何かを自分で判断することがなかったからだ。
が、そんなミルトンの態度に、アルフレドは憤りを感じた。重い荷物も、二人で持てば軽くなる。しかし、ミルトンは荷物に触れようともせず、ただ嘆くばかりなのだ。
自分が楽になりたいんじゃない。ただ、苦労を共にしたいだけなのだ。
「カノンのポッドをシャトルに乗せるんだ。カノンと共にテランへ行け!」
突然のアルフレドの提案に、ミルトンは驚いた。
「テランへ?………共に行けって、アルフレドはどうするのさ?」
「俺はすることがある」
言葉少なに答えるアルフレド。口を開くと感情が爆発しそうになる。今はそんな場合ではない。何とか自制しなければ。
「そんなっ!第一、船にはさっきのみたいなのがうろうろしているんだ、格納庫までどうやって行くのさ?」
「大丈夫だ。さっきの奴らの話では、この船を爆破することになっている。この船の中に残っているのは俺達だけだ。爆破に紛れて船を飛び出すんだ。それしか方法はない」
「でも、テランに戻ったって、僕一人じゃ、どうしようもないよ………」
言いながら、ミルトンは自分の情けなさに腹が立った。アルフレドはカノンだけでなく、僕まで背負い込んでいる。
「でもは、これで最後だ。さっきの連中が言ってたじゃないか。どうやら、テランには奴らの対抗勢力が存在する。上手く、その勢力と接触するんだ。それに、………それにミルトンは独りじゃない。カノンがいる。彼女を死なせないためにも、俺達は頑張っているんじゃないのか?」
「でも、………」
「でもはさっきので最後だ。医療用ポッドは緊急時に備えて、そのままシャトルに積み込めるようになっている。早く行くんだっ!!」
「アルフレドはどうするんだよっ!!どうして一緒に来てくれないのさ?!」
「悪いな、別な友達の相手を、してやらなくちゃならないんだ」
アルフレドはそう言って、傍らにあった照明台を掴んだ。
振り返るアルフレド。
そこには、先程ミルトン達を襲ったサイボーグの姿があった。とんがり頭である。
「フフフ、友達思いなんだな………」
サイボーグが無機質な笑いをもらす。
「あんたほどじゃないさ」
油断無く身構えながら、アルフレドはそう答えた。
「勘違いしちゃあ困る。奴の恨みを晴らそうなんて、さらさら思っちゃいない。お前達を生かしておいては、回帰主義者達が五月蠅いのでな」
嘘であった。このまま放って置いても、ミルトン達は爆発によって死んでしまう。尤も、単なる嗜虐性によるものかも知れないが。
「回帰主義者………。それがあんたらの対抗勢力か?」
さりげなく探りを入れるアルフレド。このやりとりはミルトンがテランに戻ったときに役に立つ。
「莫迦を言うな。回帰主義者などがどうして対抗勢力になり得る。我々が怖れるのは世論だ。回帰主義者の煽動に民衆がのせられれば、我々が積み重ねてきた進化の道筋が、再び原始時代に遡航してしまう。それだけは、絶対避けねばならん」
「莫迦莫迦しい、そんなガラクタのような身体になることが、どうして進化なんだ?」
アルフレドは敢えて相手を挑発した。動きの鈍いミルトンとカノンから目を逸らす為である。ゆっくりと回り込み、二人をサイボーグに視界から外す。
「それだから、貴様らは下等な原始人だというのだっ!!」
拳を振りかざし、アルフレドを殴りつけるサイボーグ。
しかし、アルフレドは咄嗟に照明台を盾にした。身体を回り込ませたとき、視界の端にあることを意識していたのだ。
「何してるっ!早く行かないかっ!!この船は爆破されるんだぞっ!!!」
動けずにいるミルトンを、アルフレドは叱咤した。
「でも、このままアルフレドを置いてはいけないよっ!!」
「でもはもう無しだって言ったろう?早く行けぇっ!!」
ミルトンに怒鳴りつけながらも、アルフレドは照明台でサイボーグに殴りかかる。
「あらゆる生命体の頂点に立つ我等機械人間、この力こそがその証!!」
サイボーグはそう言ってミルトンの攻撃をはねのけると、力任せに殴りつけた。
照明台で受けたものの、あまりの衝撃に照明台はひしゃげ、アルフレドは吹き飛ばされる。
壁に叩きつけられ、アルフレドは気泡の混じった血を吐き出した。
「アルフレドォッ!!」
ミルトンが悲鳴を上げる。
「ば、莫迦野郎、まだそんなとこにぼやぼやしてやがったのか………」
意識が朦朧とする中、アルフレドが呟く。視界がぼやけ、鼻腔に錆びた鉄の匂いが広がり、口の中に生暖かい血が溢れる。
「本当になあ、とんだお間抜け野郎だぜ。お前のそのアルミ缶の様にフニャフニャの頭を叩き割ったら、すぐに始末してやるよ。安心してあの世に行きなっ!!」
サイボーグがアルフレドの頭部めがけ、拳を振り上げた瞬間。
「うあああああああっっ!!!!!」
ミルトンが足下に転がっていた照明台を掴み、サイボーグに殴りかかった。
虚を突かれ、強かに頭部を殴打されるサイボーグ。しかし、ダメージは殆どない。
「この原始人めぇっ!!よくも…………」
ミルトンの攻撃に激高したサイボーグが、少年の首を掴み、持ち上げる。
「うぐぅ…………」
呻き声を上げるミルトン。足下にコードの引きちぎれた照明台がけたたましい音と共に転がる。
「どうだ、これが機械の力だ。進化の最終局面だ。他の生物を消費することもなく、我々は宇宙の生命体全てを永遠に支配し続けるのだっ!!」
サイボーグは勝ち誇った声を上げる。
「へへへ、まだ、勝負は終わっちゃいないかもよ………」
ぼやける視界の中、アルフレドはちぎれたコードを掴むと、サイボーグの身体に押し付けた。
「ぐあああああああぁぁぁぁっ!!!」
紫電が身体を駆けめぐり、悲鳴を上げるサイボーグ。
ミルトンはその瞬間に拘束を逃れ、地面に落下すると大きくせき込んだ。
「コノ、原始人共メェッ…………」
サイボーグはなんとか体を動かそうとするが、制御回路が電流でショートしてしまい、まるで言うことを聞かない。
よろよろとよろめくと、尻餅を突き、やがて、その機能を停止する。
と、同時に、けたたましい非常警報が鳴り響き、あちらこちらから煙が上がる。
自爆シークエンスが発動したのだ。
「この大莫迦野郎、このままじゃ、お前達まで死んじまう………」
血の気を失った顔で、アルフレドはミルトンを詰った。
「大莫迦野郎はアルフレドだっ!アルフレドを盾にしてまで、僕は生き延びたくないよっ!!」
ミルトンは涙を溢れさせ、友人を叱責した。
が、アルフレドはそれには何も答えず、静かに瞳を閉じる。
警報は大きさを増し、艦内の至る所で爆発が起こる。
やがて、医療室まで爆風に飲み込まれ、三人の少年少女はその煙の中に姿を消した。
「また、あなたなのぉっ?」
大きく掲げられたモニターの向こうで、亜麻色の髪の毛を豊かにたくわえた少女が、その愛らしい額を歪ませ、眉間に皺を寄せる。
モニターの前に立つ一人の青年。アートマン。
薄暗い部屋の中、モニターの青白い光を浴びながら、優しげな表情で少女を見つめている。しかし、彼の口元に浮かんだ薄い笑みは力の無いもので、瞳には悲しい光が宿っていた。
「毎日、毎日、ま〜〜いにちっ!!同じ顔を見せられて、どうにかならないのかしら?」
苦笑するアートマン。
「それは仕方がないさ、僕は君の機能に異常がないかを調べているんだ。それが僕の役目なんだから………」
アートマンは少女が本気で彼に飽きているわけではないと知っていた。彼以外、ここを訪れる人間もいない中、日課となったアートマンとの会話を心待ちにしているのだ。
「も〜うっ!女の子に会いに来るのに、もっと気の利いたことが言えないのかしら? 大体あなたはもっとレディに対して気を配るべきだわ。そんな野暮ったい白衣なんか着て……。中身はそんなに悪くはないんだから、少しは見た目に気を配ったら?もっとも、気を配ったところで私の旦那様候補にはほど遠いけど。でも、努力しないよりはましよ」
少女のませた口調に、苦笑いするアートマン。
「はは、そりゃ、どうも………」
「も〜〜〜うっ!!誉めてないわっ!」
頬を膨らませ、口を尖らせる少女。その愛らしい様子を、青年は目を細めて見つめた。
「ところで、今日はどうだったの?」
不意に真顔に戻り、少女が訊ねる。
「どうって言われても、な………」
何の事か解っているのだろう、アートマンは返事に窮した。
「なあに、その返事は?私、じらされるの嫌い」
モニターの中で、少女はアートマンの顔を覗き込んだ。
視線を逸らすアートマン。
「べ、別にじらしているわけじゃないさ。ただ、どう表現して良いのか………」
「うんっ!どう表現するも何も、見たままを教えてくれればいいのよ。雲は多かったとか、少なかったとか。どんな形をしていたのか、とか。兎に似ていたとか、ケサランパサランに似ていたとか………色々あるでしょ?」
「な、何、そのケサ何とかって?」
「も〜うっ、そんな事はどうだって良いのっ!!それより、今日、窓からどんな景色が見えたのか教えてよっ!!」
もどかしそうに、少女は唸った。
「だから、………その、普通の、…………いつも見える景色さ。変わり映えのしない、当たり前の………」
なんとか答えようとするアートマン。だが、これは彼女の望む答えではなかった。
「変わり映えがしないって、ホントにホント?雲の形も昨日と同じだった?空の色も?」
「そ、そりゃあ、昨日とは違うさ。でも、普通の雲だし…………」
言いよどむアートマン。
「どんな風に違うの?どんな風に普通なの?教えてよ、アートマン」
モニターの中で手を合わせ、懇願する少女。
「え〜〜〜っと、」アートマンは腹を決め、何とか窓の景色を少女に伝えようと始めた。「確か、雲の形は積乱雲ってやつかな?形がちょっとポットパイに似ていた。そ、空の色は、…………たしか………、ええっと、どう答えて良いのかな、いつもより少し白っぽかった」
アートマンの言葉に、少女は少し機嫌が良くなった。
「他には?他には何か変わったことはなかったの?」
少女の瞳は、好奇心に輝いていた。
「変わった事なんて何も………。大体、何だっていつも、外の景色を聞きたがるんだい?そりゃあ、確かにそこにいては退屈だろうけど、他に、もっと聞きたいことはないのかい?」
アートマンは何とか話題を変えようと試みる。
「聞きたいことならいっぱいあるわよ。例えば、ここからいつ出られるのかとか、私の身体は今どうなっているのか、とか」
アートマンは少女の言葉に、自分が墓穴を掘ったことに気が付いた。彼女に聞かれて、答えられないことは山ほどある。まだしも、窓から見える景色を教える方が答えやすい。
「…………いや、まあ、君の身体のことについては………その、………何と言うか」
返答に窮するアートマン。
「ぷ〜んっだ、答えられないことを聞くつもりはないわ。だから、窓の外が今日はどうだったのか、教えてよ」
「いや、………だから、あまり変わり映えはしないけど。そ、そうだ、もうすぐ天気が荒れるらしい」
「嵐が来るの?」
「まあ、春の嵐ってやつかな。これからは日を追う毎に暖かくなるはずだ」
「だったら!!」勢い込む少女。「嵐が過ぎたらお花が咲き始めるって事よね?」
「あ、ああ………」
「だったら、だったらっ!!プライムローズが咲いていたら教えて?」
少女の熱心な様子に、アートマンは首を縦に振った。そのくらいのことならおやすい御用だ。
「ああ、別に構わないさ」
「ふふふ、優しい人って大好きよ。でも、……」
アートマンは少女の言葉を遮った。
「でも、私の旦那様候補にはほど遠いんだろ?」
肩をすくめるアートマン。
その後しばらくの間、アートマンは少女との会話を楽しんだ。とは言え、アートマンは少女の話に相槌を打つだけなのだが、少女はそれに満足し、昔のお伽噺などを語って聞かせた。
やがて、二人の時間は終わりを告げ、アートマンは機器のチェックを終え、名残惜しむ少女を後目に彼女の機能を停止させた。
モニターの光が消え、薄暗い部屋が闇に包まれる。
アートマンはかぶりを振ると、大きく息を吸い込み、部屋から足を踏み出した。部屋を出るとき、一瞬、モニターに目を走らせるが、当然そこには何も映ってはいない。
「プライムローズ、最初の薔薇。鍵の花。カノンを解放できる鍵は、いつ見つかるのだろう?」
口の中で呟くアートマン。
その時、ふと、耳の奥に遠雷が届いたような気がした。どうやら、天気予報が当たったらしい。