第五話「老科学者」
春の訪れを告げる強風が、時折、浮かれたように踊り狂い、砂塵を巻き上げる。春先とはまだ名ばかりで、この浮かれた風共が去らない限り、土の中で眠る草花は、芽吹くことはない。
だが、それも後わずか、強風の寿命も短い。
ネルキアの郊外、森のほど近く。
鬱蒼とした蔦に埋もれ、その老科学者の館はあった。表面はひび割れ、煉瓦は痩せ、さながら老人の顔深く刻まれた、皺のようにすら思える。にも関わらず、手入れが行き届いているのか、たとえ老いぼれようとも往年の風格を滲ませ、そこに堂々とした様子で座している。
この館に住んでいるのは、ミルトン・アッシュという老科学者でロボット工学とロボ心理学の権威であった。
そこに訪れる二人のサイボーグ。 言わずと知れた警視庁の凸凹コンビ、ヘイシン・ヘイワドとジョナサン・ランカスターである。
先日の教会前での騒ぎ以来、市民の警察への風当たりは強く、何か手掛かりになることは聞けないかと、此処を訪れたのである。
玄関へと続く石畳の上を、ヘイワドとジョナサンは進んだ。
「それにしても、偉い学者先生てのは変人が多いって聞くけど、そのアッシュ博士てのも、随分と変わり者だな。何も郊外のこんな辺鄙なところに住まなくても。しかも、こんな今にも崩れそうな、ぼろ屋敷に…………」
そう言ってヘイワドは、館の全容をしげしげと眺め回した。東火にはこうした古い建物も残っているが、彼が知っているのは東火風の建築で、この様にネルカ風建築で古い建物を見ることは殆どなかった。
ふと見ると、ヤモリが一匹、アーチ型の出窓でくつろいでいる。
「まあ、博士が変わり者だと言うことは有名らしいですから。こんな懐古趣味的な家に住まれるのも、驚くことではありませんよ」
ジョナサンが軽く応じる。
「ま、そんな事はどうでも良いさ」
そう言うとヘイワドは飴色の光沢を放つ、年代物のノッカーを掴んだ。金属でできた、ガーゴイルを模したものだ。
「なんです、それ?」
ジョナサンが首を傾げる。
「お客が来たことを、これで叩いて知らせるんだろ?」
そう言ってドアをノックするヘイワド。
「何とまあ、原始的な…………」
今度はジョナサンが呆れ声を出した。
やがて、何処からともなく男の声がした。
「どうぞ、鍵は開いておりますので、中へお入り下さい」
驚いて辺りを見回すが、声はヘイワドの掴んだガーゴイルからしているようだった。よく見ると目の部分が監視カメラになっている。
「ちぇっ、見えているなら早く開ければいいのに」
毒づきながらも、中へと進むヘイワド。ジョナサンも辺りに気を配りながら後へと続く。
中へ入ると正面に階段があった。凝った彫刻の手摺りがなだらかなカーブを描き、二階へと続いている。階段には赤い絨毯が敷かれており、ヘイワド達はそれを破いてしまうのではと躊躇した。
「ようこそお客人。ヘイワド刑事殿とランカスター刑事殿ですな。お待ちしておりました」
二階バルコニーに人影が現れる。
それを見て、ジョナサンは胸から歯車がこぼれ落ちそうなくらいに驚いた。
姿を現したのは異様な風体の年老いた猿であったからだ。
「あなたがアッシュ博士ですか。御高名はかねがね伺っております」
ジョナサンとは対照的に、ヘイワドは平然と挨拶を交わす。
「そのボディーの文様、それに私を見ても驚かれないとは、あなたは東火の方ですな?」
そう言って、階段を下りる老科学者。
「御覧の通りです」
頷くヘイワド。
二人はこの老人の案内で、暖炉のある客間へと通された。春先とはいえまだ寒く、暖炉には火がついていた。機械の身体を持つヘイワド達だが、オイルの回りが良くなるので、やはり暖炉はありがたかった。
時折、思い出したように暖炉の火がはぜる。
柔らかなソファに、向かい合って座る老人とサイボーグ。ジョナサンは居心地悪そうに身じろぎしていた。
「で、今日は何の御用ですかな?」
穏やかな表情で質すアッシュ老人。
「エモーション・プログラムの事でお聞きしたいことがありまして」
答えるヘイワド。用件は先に伝えてある筈だと、回路の内で呟く。
「エモーション・プログラムですか。そんなものを使わずとも、私のように生身の身体でいれば、素晴らしい感覚を常に味わえるものを………」
微苦笑を見せるアッシュ老人。
それには構わず、ヘイワドは質問を続けた。
「まずは、このプログラムの作成法について、専門家の御意見を………」
「東火出身の刑事殿、あなたはFE革命をご存じかな?」
ヘイワドの言葉に構わず、質問を投げ掛けるアッシュ老人。ヘイワドの回路内に僅かな苛立ちが生まれる。
「生身の人間をサイボーグに改造し、新たな進化の道を模索しようとした動きでしょう?その結果が今のサイボーグ文化だ。プログラム七過程で習うこと。子供でも知っていますよ」
ヘイワドの横で、ジョナサンが小声で伝える。
「………五過程ですよ」
「そ、それが私の質問とどんな関係があるというのです?私は歴史の勉強をしに来たわけでない」
ヘイワドはスピーカーの調子を強めたが、アッシュ老人は意に介さなかった。
「ものには順序というものがある。まずは歴史の勉強じゃ。儂はかねがねエモーション・プログラムが出回るには理由があると考えている。今後の捜査の為にも、聞いておいて損はないと思うがね」
渋々頷くヘイワド。仕事でもなければ、こんな偏屈爺の相手などしないものを。
「百年以上前の事になる。FE 革命が加速度的に進んだ、その原因となる事件」
アッシュ老人の言葉を、調子を取り戻したジョナサンが受ける。
「アンドロイド・ダンバ−の反乱」
頷くアッシュ老。
「アンドロイド・ダンバーは軍用に造られた人造人間。その為にアンドロイド三原則は無効にされていた。そのアンドロイドがジャミングと呼ばれる少女型のアンドロイド、一部にはサイボーグであったという者もいるが、を連れて軍の施設を飛び出した。これで都市機能が麻痺したわけじゃ」
老科学者は僅かに息を継ぎ、東火のサイボーグは苛立ちと共に肩を揺すった。
「ジャミングの撹乱装置ですね。暴走し、拡張し続けたために都市のあらゆるコンピューター施設が機能を停止した」
再びジョナサンがスピーカーを鳴らした。
「そう、ジャミングの撹乱機能は絶大で、コンピューターに文明を依存していた都市は大きくダメージを受けた。そして、軍の追撃を避けるためにダンバーは都市機能を司るブレイン・メタトロンの内部へと侵入した。ブレインの内部では武器は使えんしな。結局、ダンバーは有機的に改造を受けた軍の特殊部隊と死闘を繰り広げ、ジャミングと共に処分された」
再び息をつくアッシュ老人。
「さて、普通ならコンピューターに大きく依存している社会に危惧を抱き、ブレインを廃止しようと考えるものだが、そうはならなかった。なぜだか分かるか?」
質問をされ、ヘイワドは不承不承に答える。
「人間のフランケンシュタイン・コンプレックスをいたく刺激したからです」
「左様。三原則が働いてる間はアンドロイドは人間に対してひどく従順であったが、人間はそれが働かなくなったらと、常に不安を抱えていたわけじゃ。そこで、例えアンドロイドが人間に危害を加えようとしても、それをはねつけるだけの力を得ようとしたわけじゃ。更には、それが惑星開発運動、宇宙植民計画やエネルギー問題などと結びつき、どんな悪条件にも耐え得る身体に進化しようとした。しかも、エネルギーを効率よく消費するために始原的な生理器官をも排除した形で」
そう言ったアッシュ老人の眉間には、不快感を表す皺が刻まれたが、ジョナサンはそれが何を意味するのか知らなかった。
「素晴らしい事じゃないですか。人間は他の動植物を消費するなどと言う愚劣な行為から解放されたのですから」
アッシュ老人の眉間の皺はますます深くなった。
鼻を鳴らす老科学者。
「ふん!………それでじゃ、そう言う素晴らしい事には落とし穴があったわけじゃな。新生児の減少と老人問題。寿命が長くなれば老人が増える。国が豊かになれば責任や義務が生じ、子供を作ろうとは考えなくなる。加えて、サイボーグ化は種の保護本能、子孫繁栄の本能を希薄にした。種の保護本能に大切なのは何だと思うね?それは性欲じゃよっ!!」
アッシュ老人の言葉に、ジョナサンは腰を浮かせた。
「冒涜だっ!!」
それを制するヘイワド。
「話をお続け下さい、博士。ここは機械教の道場でも教会でもありません。あなたを糾弾する者はいませんし、この国は言論の自由が保障されている」
この言葉は、ジョナサンに告げられたものだった。
腰を下ろすジョナサン。
「そちらの刑事殿は今、冒涜と言われたが、あなた方が持ち込んだ問題、即ち、エモーション・プログラムが広く流布しているのは何故かな?始原的な欲求を満たす為なのではないかな?精神や自我の崩壊を省みず、危険なプログラムに溺れるのは何故かね?多くの民衆が意識下では本能を否定できずにいるからではないのかね?」
ジョナサンは言葉を失っていた。アッシュ老人の言うことが否定できずにいるのだ。
「私の質問はどうなりましたか?エモーション・プログラムが流布する理由は分かりましたが、これではまるで私の質問に答えてはいただいていない」
ヘイワドの言葉に、アッシュ老は頷いた。
「勿論、これから話をするが、その前に休ませてくれ。喉が渇いた」
そう言うとミルトン・アッシュ博士は、テーブルの上のベルを叩いた。
「紅茶を持ってきてくれ」
ベルと話をする老人に、ヘイワドは首を傾げた。
が、やがてドアをノックする音が聞こえ、給仕が姿を現す。
その給仕は、見慣れたサイボーグやアンドロイドではなかった。
アッシュ老とは違い柔らかで張りのある肌に、二つの乳房を有している。要するに、旧人類の雌であった。
まだ幼い感じがすると、ヘイワドは思った。彼の国では自然主義者の権利もある程度は認められており、見かけることも希にあった。
だが、ここの給仕は自然主義者とは少し違った。自然主義者は乳房や性器を露出することを嫌うからである。ここの給仕は腰にひだのついた奇妙な前掛けを身に着けているだけで、身体の殆どを剥き出しにしていた。
「ありがとう、R・シスタス」
紅茶をテーブルに置かれると、アッシュ老はそう言った。
「アール………?」
怪訝な声を出すヘイワド。
「ふむ、この娘は確かにアンドロイドだが」
特に気にする風でもなく、アッシュ老人は告げた。
「何と、これがアンドロイドとは、良くできている」
そう言って、シスタスの柔らかな双丘に触れるヘイワド。
「きゃっ!」
小さく悲鳴を上げ、弾かれたように身体を動かすR・シスタス。
「あ、いや、申し訳ない」
頬を赤らめ、咎めるような恥じらうような表情に、ヘイワドは思わず謝っていた。
「え〜っと、どこまで話したかな?」
紅茶のカップを口に運び、アッシュ老人は呟いた。
「エモーション・プログラムの作成法についてです」
ヘイワドが苛立ちを露わにして告げる。
「なに、簡単な事じゃ。生身の人間の感覚をそのまま数値化しただけじゃからな。感情の動きと共に表れるシナプスの変化を読みとり、それを数値化して別の脳でそのシナプスの変化を再現する。これがエモーション・プログラムの正体じゃ」
平然と答えるアッシュ老人。
「そんな簡単に片づけないで下さいよ。それじゃあ、タナトス・プログラムはどうなるんです?プログラムの数だけ人が死んでいるんですか?それも、生身の………」
ジョナサンがスピーカーを鳴らすが、アッシュ老人はまるで意に介さず、薄い白磁のティーカップに口を寄せる。
「そう言う事じゃな」
「しかしながら」ヘイワドが静かにスピーカーを鳴らした。「生身の人間などこのシティーにはいませんよ。みんな機械の身体だ。生まれて直ぐ調整カプセルに入れられ、機械の部品に馴染むよう身体を作り変えられる。このシティーだけじゃない、この国、いや、世界中の国が多かれ少なかれ似たような状況だ。………言うまでもないことですが」
相手がロボット工学者であることに気がつき、ヘイワドはスピーカーの音量を下げた。
「そんな事は儂は知りゃせんよ。この国がどうであれ、生身の人間がいようがいまいが、タナトス・プログラムを作るにはそれが必要なんじゃ。なにしろ、人間のシナプスの変化をそのまま複製して、別の脳で再生するんじゃから、元になる脳味噌がなければ作れるわけがないじゃろ。それに、別に生まれながらに生身の身体でなければならん、と言うことはない。有機的な身体を作って、それに脳味噌を収めれば済む事じゃ」
理屈ではあったが、肯定できるものではなかった。シティーの人間が何百人と殺されているなどと、信じられる筈もなかった。
「シティーの人間は皆ブレインに管理されているんですよ?一人でもリンクが途切れれば分かります。ましてや、何百人も殺されていれば、ブレインが我々に知らせる筈です」
ヘイワドの言葉に、ジョナサンが頷く。しかし、アッシュ老はうんざりとした表情でそれに答えた。
「だから、そんな事は儂は知らんと言ったじゃろ。それに、ブレインがシティー全ての人間を、完全に管理していると思うのは間違いじゃ。ブレインの管理を快く思わない連中は、ブレインの干渉を遮断して幽霊市民になっている。その幽霊市民は、我々が外から見ただけでは判断できるはずもない。それだけではない、非合法的に人間を作り出すことはいくらだってできる。エモーション・プログラムを作る前に、シティーの許可無くして人間を増やし、ある程度たまったところでエモーション・プログラムを作り始めたのかも知れない。お前さん達は実感が伴わないかも知れないが、人間は試験管から生まれるだけじゃない。増やすなんて簡単なことだ。男の精液を女の腹ん中にたっぷりぶち込んでやれば、一年と経たずに子供がおぎゃあと生まれる」
「なら」ヘイワドが食い下がる。「ならアンドロイドはどうです?精巧に出来たアンドロイドなら、人間の代わりに刺激を与えれば、エモーション・プログラムが作れるのではないですか?」
この質問を、アッシュ老はにべもなく否定した。
「無理じゃ。アンドロイドの電子頭脳は確かに人間同様の複雑なものが作れる。しかし、アンドロイドには感情が無い。感情の無い者から感情を数値化、複製化したエモーション・プログラムは作れんよ。これは儂以外の誰に聞いたところで、同じ答えが返ってくるはずだ。アンドロイドの電子頭脳は人間同様の複雑な反応を生み出すことが可能である、だが、とな………」
「しかし、先程の給仕ロボットは非常に精巧に出来ていましたし、感情も見せたではありませんか?」
ヘイワドは先ほどのアンドロイドのあまりに自然な感情の動きを思い出して言った。
「あれは、そうプログラムされているだけで、本当に感情を見せたわけではない。脳の反応を複製したところで、表情を変化させる反応が複製できるだけで、エモーション・プログラムは作れんよ」
ヘイワドはアッシュ老人の言葉を認めざるを得なかった。しかし、どこから何百人もの人間を調達したのか?アッシュ老の言葉通り、幽霊市民や非合法の人間を使ったのか?果たして、そんな大規模な犯罪行為を、ブレインに統治されたこのシティーで行うことが可能なのだろうか?そんな莫迦な事はない。…………しかし。
「では………」ヘイワドは何とかスピーカーから音を押し出した。「では、次にお聞きしたいのは、どのくらいの設備があればエモーション・プログラムが作れるのかと言うことです。お聞かせ願えますか?」
アッシュ老はカップを一気に干すと、テーブルの上に無造作に置いた。所在なげに、指の駆動系を動かすジョナサン。
「なに、大した設備はいらんさ。要は知識と技術力、そして資金と人材。感情の提供者されあれば、この部屋の広さ位あれば十分事足りる」
「では、知識では?どのくらいの知識があれば、エモーション・プログラムを作ることができます?」
この問い掛けに、ロボット工学者は 鼻を鳴らした。
「ふんっ!お前さんは警官じゃよ。エモーション・プログラムを作れる者は余程の科学者じゃろうて。儂の様ななっ!」
「なにもそう言うことを言っているわけでありません。純粋に捜査の為の質問です。博士を除けば、このシティー、いや、この国に作れる技術者はどれくらいいるのです?」
アッシュ老は暫く考えていたが、やがてその口を開いた。
「大手のロボットメーカーのトップ技術者なら何とかなるじゃろう」
「名簿を作ることができますか?」
ジョナサンが話に割り込む。
「断れば?」アッシュ老がジョナサンに目を向ける。
それをヘイワドが受けた。
「勿論、強要はしません」
「ふん、後でそちらに届けてやるわいっ!」再び鼻を鳴らすアッシュ老。
二人は名簿を送ってもらえると聞き、アッシュ老に深く礼をすると、老科学者の古い洋館を後にした。
外に出ると既に陽は沈んでおり、神の瞳と呼ばれるトトが、白く冷たい光を地上に投げ掛けていた。セシャトはまだ昇っていないのか、それともC・R・C(サイバネティックス・ロボット・カンパニー)の建物に遮られて、見えないのか。(C・R・Cの建物は、その後ろにある月を隠してしまう。これがC・R・Cの技術の限界である)
ヘイワドは何気なく、来るときに見た出窓に目をやったが、ヤモリの姿は既になかった。
「知っていましたか?警部………」
車へと戻る途中、ジョナサンが不意に声帯スピーカーを鳴らした。
「何をだ?」ヘイワドが視線も向けずに答える。
「ミルトン・アッシュ博士、実は宇宙移民船アルゴーの生き残りらしいですよ」
ジョナサンの言葉に、ヘイワドは首を傾げる。
「アルゴ−って言うと、80年だか90年だか前に事故でテランに戻ってきた移民船だろ?確か、トトだかセシャトの宇宙港で停泊中に炎上、謎の爆発を遂げたとかで、生き残りはいなかったんじゃないか?原始人が時を越えて戻ってきたとかで、テランは上を下への大騒ぎになったが、結局、アルゴーはテランに帰還することなく、宇宙港で塵となったわけだ」
「何、言ってんですか。アルゴーは狂ったアンドロイドに襲撃を受け、乗員が殺されて、その上で爆破されたんですよ」
ジョナサンの言葉に、ヘイワドは再び首を傾げた。
「その話は聞いたことがあるが、実際にその襲撃が目撃されたわけじゃないんだろ?誰も見ていなかったというのは変な話だが、月のことなんでそれこそ藪の中だ。それに月のブレインはどうなってたんだ?たしかサリエルだかザカレルだか………、ええいっ!なんだって、ブレインの名前はこうもややこしいんだ!」
「ザカリエルです。昔の神様の、お使いか何かから名付けたんだそうですよ」
「そんな事はどうだっていいさ。ブレインがその事をモニターしていなかったってのはおかしいじゃないか?それにアンドロイド三原則はどうなんだ?アンドロイドが人間に危害を加えるなんて、おかしな話じゃないか。それも、月市民はまるで被害を受けず、アルゴーの乗員だけ襲われたってのも奇妙な話だ」
「何か陰謀が働いた、ってのが大方の意見らしいですよ。ザカリエルが襲撃を黙認せざるを得ないような大きな陰謀が。それに、三原則が働かないから狂ったって言うんでしょ?」
「ほお、それで?」
「それでって、アルゴーはセシャトの宇宙港で停泊中に、狂ったアンドロイド達に襲撃を受けたんですよ!機械文明に懐疑的なのもそれが理由でしょう。もしかすると、これらの事件に繋がりがあるかも知れませんよ」
ジョナサンの熱弁にも、ヘイワドはあまり興味を引かれない様子であった。
「あるかも知れんし、ないかも知れんな………」
「ありますよっ!!人間同盟はアルゴーの生き残りが機械人類に復讐しようとして組織されたっていう話もあるじゃないですか。博士がアルゴーの生き残りなら、彼が人間同盟の一員だって言う可能性も十分でしょ?」
「だから………」ヘイワドはうんざりした調子で声帯スピーカーを鳴らした。「そいつはうわさ話を前提にした推論だろ?そんな曖昧なことで博士をどうにもできんさ」
「そんな!もし博士が陰謀に加担していたら、博士の作る名簿だって、信用できないかも知れないじゃないですか!?」ジョナサンが思わずスピーカーの音量を上げる。
「それだけの事でアッシュ博士を連行するわけにはいかないだろ。それに、名簿に明らかな漏れがあればそれだけで漏れた者が疑われるし、あの偏屈爺が自分で自分が怪しいと言うようなもんだ。今のところ、問題は無いさ」
「問題はありますよっ!!アッシュ博士が我々に嘘の証言をしていたり、何か重要なことを隠していたらどうするんですか?」
ジョナサンが、更にスピーカーの音量を上げる。
最早、ジョナサンに冷静な判断を求めることは無理な相談であった。信仰心を傷つけられ、無意識の内に博士を、陰謀の加担者に仕立てようとしているのだ。
「それを見つけるのが俺達の仕事だろ?」
「そんなっ!!」
「そんなも何も、それじゃあ、お前さんはどうしたいんだ?お前さんの言う通りにやってやるよ」
ヘイワドの言葉にジョナサンは言葉を詰まらせた。自分の感情的な部分はともかく、理性的に考えてヘイワドの言葉が正しい。いざ、どうするのかと聞かれると、返事のしようもない。
「それじゃあ、やりたいことがありますっ!!」
考え込んでいたジョナサンであったが、突然スピーカーを鳴らした。
「な、なんだよ、勢い込んで………」
「あの爺さんが悪い奴だと分かったときは、その時は絶対にぜ〜〜ったいに逮捕しますっ!!」
「………はあ」
「絶対に、ぜ〜〜ったいにですっ!!」
ヘイワドに詰め寄るジョナサン。
しかし、その時。突然、緊急の為のシグナルが鳴る。
情報端末を展開するジョナサン。立体画像に映し出されるモニター。明滅するコンソールパネルを操作する。
「おかしいですね。情報が暗号化されています。こんなことは初めてだ………」
ジョナサンは呟きながらも、暗号の解読を試みる。素早く、正確な動作で指を滑らせ、次々と暗号を解読していく。
しかし、ふとした拍子にジョナサンの指が停止した。
「………………」
沈黙するジョナサン。
「どうしたんだ?」
ただならぬ様子のジョナサンに、不審に思ったヘイワドが訊ねる。
だが、ジョナサンが答えたのは、たった一言だけだった。
「…………ブレインが一人、殺害されました」