第七話「硝子の中の王国編」

 

 幽明の中、羅瑠は綺沙羅の膝の上で安らかな寝息を立てていた。

 傍らでは、むつみが同じように、背を丸めて眠っている。

 今や戒めは解かれているが部屋は厳重に見張られており、綺沙羅はとても眠ることなどできなかった。眠るように言っていた澪も、目を閉じて規則的な呼吸をしている。

 する事もなく、羅瑠の頬にまとわりつく柔らかな後れ毛をそっと払ってやる綺沙羅。

 何時間か前、綺沙羅達の捕らわれている部屋の外では、怪物達の壮絶な戦いが繰り広げられた。

 そんな状況の中でも、この二人は眠っているのだ。

 勿論、緊張感がまるでないわけではないだろうし、彼女たちなりに事態を憂えているのだろうが、今、眠りについているこの表情からはそう言ったものは何も感じられない。或いは、眠りの中こそが、この二人の安心できる場所なのかも知れないが。

 綺沙羅は無邪気に眠る二人の表情を見て、苦笑いをこぼした。

「………罪のない寝顔」

 綺沙羅のその言葉に、いつの間にか起きだしたのか、窓の外を憮然と眺めていた澪がおもむろに一瞥をくれると、感慨なく口を開いた。

「………子供達は後部座席で眠るの。運転席には父親がいて、その隣には優しい母親。朝になれば子供達はいつものベッドの中で目を覚ます。それが安心というもの。でも、いつの日か後部座席では眠れない日が来るわ。そして、それは絶対に戻ることはない」

 澪のその言葉に、綺沙羅の表情がわずかに険しいものとなる。

「私とあなたは後部座席には戻れないようね」

 綺沙羅らしくない少し棘のある言葉に、珍しく澪も真面目に応じる。

「……でも、この子達はまだ少しの安心が残っている。………私は、それを守りたい」

 守りたいという言葉は、綺沙羅には意外なものだった。いつも横柄で、他人を茶化し、自分を見せなかった澪。それが、人を守りたい等と言うとは。

 自分の言葉に、澪自身驚いたのか、わざとらしく大きな欠伸をすると、背を向けて横になってしまった。

 澪の背中を見ながら、綺沙羅は澪の言葉の意味を考えた。

 羅瑠やむつみを守りたいというのは本当なのだろう。澪はいつも災いの矢面に立ってきたし、羅瑠やむつみがこれまで彼女と行動を共にしてきたのは、やはり澪を慕ってのことなのだろうから。

 一瞬、綺沙羅の脳裏に、澪に奉仕するむつみの姿がよぎった。

「(………悪人じゃないけど、でも、どこか歪んでるのよね)」

 溜息をつく綺沙羅。

 そこに、音もなく扉が開き、若い女性が入ってきた。

 それは日本人ではなかった。冷たく、青い瞳。蜜色の髪を腰まで伸ばし、豊かな乳房は誇らしげに天を仰いでいる。顔の造作は柔らかな線で構成されているが、その瞳には意志の強さが感じられた。

「あ、あの、はわぁあゆう?ま、まいねいむ……」

「日本語で話してもらってかまわない。そうでなければここに来たりしない」

 綺沙羅は怪訝な表情を浮かべた。流暢な日本語もそうなのだが、その声色には聞き覚えがあったのだ。

「もしかして、あの青色の?」

 綺沙羅は高圧的なグレースを制した青玉色の戦士を思い出し、思わず声を上げた。

「私はターヤ。お前達に話があって来た」

 首を傾げる綺沙羅をターヤは冷然と見下ろした。おずおずと応じる綺沙羅。

「……あの、話って?」

「我々は今、少しでも戦力を欲している。同志となって欲しい」

 ターヤの言葉に、綺沙羅は返事ができなかった。戦って事態を打開する事に異論はなかったが、生死を懸けてと言われれば、躊躇してしまうのが正直なところだ。

「私達は仲間にならない」

 ターヤに答えたのは、眠った筈の澪であった。

「私達?共同体のような言い方だな」

「共同体と考えてもらってかまわないわ。私達は仲間にならない」

 澪の切り捨てるような言い方に、ターヤの表情も些か険しいものへと変わる。

「理由くらい明示してもらえるのだろうな?」

「どうしてもと言うのなら」

「どうしてもだ」

 澪の態度に、ターヤは苛立たしげに言った。

「この戦いには勝利はないからよ」

「何故そんな事が判る?」

「私達を此処に連れてきたのが彼等なら、この事態は彼等の望んだものだからよ。事態の収拾ができない状態で、こんな手の込んだ真似はしないと思うわ。連中が私達を潰さないのは、私達と戦うことによって益があるから」

「頭が良いのだな。どのような益だ?」

 ターヤの揶揄もかまわずに、澪は話を続けた。ターヤも興味を引かれた様子で、また、その表情には冷たさが戻っている。

「私達の力を覚醒させたいんじゃない?此処に来て、何か変化があったとしたらそれが一番大きなもので、他にはなさそうだもの」

 澪の言葉に、ターヤは突然破顔した。澪も、そして蚊帳の外であった綺沙羅も驚いた表情を見せる。

「力を覚醒させる。それは私も考えた。力の覚醒の為には心的な外傷が必要なようだからな。細々とは言わないが、変身能力を身につけた者の話を聞いた上でそう結論した」

「化け物達が私達を殺さないで、慰み物にするのもその為ね?」

「連中の精神構造までは解らない。連中は女を蹂躙することを至上の喜びとしているようだからな。ただ、そんな化け物をけしかけている奴がいることは確かだ」

「あの天使!?」

 綺沙羅は思わず声を上げた。ターヤはそれに驚かず、静かに頷く。

「私が解らないのは、どうして此処にいるのは女性だけなのかと言うこと」

 続いて発せられた澪の言葉にも、ターヤは勿体付けることもなく応じる。自分の仮説に通じる人間と会った為に、口が滑らかになっているのだろう。

「同じ人間で、女だけが覚醒するとは考えにくいからな。………ただ、アダムの肋骨と言う言葉を聞いたことがあるか?」

「アダムの肋骨?」

 ターヤの言葉に、綺沙羅と澪が同時に声を漏らした。

「神は自らに似せて土から人間を生み出した。それが人類の始祖アダムだ。そのアダムの肋骨を使って、神は女性であるイヴを生み出した」

「ああ、なんとなく聞いたことがあるような」

 綺沙羅の相槌を無視して、ターヤは言葉を続けた。

「しかし、生物としては女性の方がより完璧なのだ。もし仮にどちらかの肋骨で片方の性別が生まれたとしたら、それはアダムの肋骨ではなく、イヴの肋骨だったろう」

「つまり」今度は澪が言葉を挟んだ。「つまり、求められているのは、より完璧な新生物?」

「それは解らない。我々の変身が生物的な変異であるようにも思えないからな。ただ、男性には何かが欠損しているのではないかと、そんな気がするのだ」

「そこまで解っていて、どうして連中に戦いを挑むの?実験用のネズミは人間には勝てないわ」

 澪は話を振り出しに戻した。ターヤの顔は険しいものへと変わる。

「なら、どうする?奴らの目的の為に犯されるのか?此処で飼い殺しにされるのか?覚醒できない者はどうなる?たとえかなわないと解っていても、力を合わせて戦うしかないんじゃないか?」

「人を助ける為に人を死地に追いやるの?矛盾しているわね。何時間か前の戦闘で、何人の人が死んだの?その前の戦闘では何人?」

 澪の言葉は鋭いナイフとなり、ターヤの胸をえぐった。と、同時にどす黒い怒りに目がくらむ。

「それでは、此処で死ぬまで閉じ込められているのか?頭のおかしくなった娘も大勢いるんだぞっ!!」

「だからって、連中と戦うことだけが道じゃないわ。私は、たとえ泥水をすすってでも生き延びる。死ぬことを前提とした選択肢はないわ」

 次の瞬間、ターヤの平手打ちが澪の頬に飛んだ。

「お前に何が解るっ!!」

 苦痛と怒りにターヤの端正な顔が歪む。

「……何も解らないわよ」

 頬を押さえ、呻くように呟く澪。

 ターヤはそれ以上は何も言わず、無言で部屋を立ち去った。

 何も言えず、澪をただ見つめる綺沙羅。澪の瞳からは、訳も分からずに涙が溢れ出す。 綺沙羅にはターヤの言葉は正しい様に思われた。理由も解らないままに怪物達に犯され、この世界に閉じ込められるよりは、何か行動を起こした方が良いように思われた。

 だからといって、綺沙羅には澪やターヤのように戦う力はなく、変身すらできない。そして、その覚悟を持つことも。

「(………私は、何て無力なんだろ)」

 綺沙羅はごろりと仰向けになると、窓の向こうにある天井を仰いだ。

 空は、天蓋は、鈍くぼんやりとした光を投げかけている。

 

「(他に何ができる。犠牲を出さずに済むならそれに越したことはないが、それこそ絵に描いた餅というもの。我々は今、できるだけの戦力を集めて敵に対抗するしかないのだ……他に、選択肢などないのだ)」

 ターヤは自分に言い聞かせるように、頭の中でそう呟いていた。

 そして、いつしか、とある部屋の前に立っていた。部屋の扉はどれも同じだが、その部屋の扉にだけ、ターヤにしか分からない小さな印があった。

 それは右翼の無い五芒星。グレースの部屋に付けられた印であった。

 ノックもせずに部屋に入るターヤ。部屋の主であるグレースはベッドに横になっていたが、ターヤの姿を見ても特に慌てる様子はなかった。

「具合はどうだ?」

 変身を解いたグレースは黒い瞳の美少女であった。わずかにウェーブの掛かった髪の毛は瞳と同じ黒髪で、肌の白さを一層際立たせている。

「具合も何も、肉体を傷つけられたわけじゃないから……。ちょっと気分が悪いけど、ん、平気……」

 二人しかいない気安さからか、グレースの口調は砕けたものだった。

「翼や外殻は霊体の様なもので構成されているようだからな。だが、生体エネルギーが著しく損失している筈だ。暫くは変身できないだろう……。安静にしていた方が良い」

 憮然と、しかし、どこか柔らかな表情で応じるターヤ。

 そんなターヤの無骨な気遣いに苦笑して、グレースは努めて元気な表情を見せた。

「ターヤがお見舞いに来てくれて元気が出た。生体エネルギーも補充できたって感じ」

「うん、なら良かった。グレースは真面目すぎるところがあるから、何にでも力を入れ過ぎるところがある。もっと、肩の力を抜かないと………」

 ターヤの言葉を聞いていたグレースは、不意に俯き、堪えきれない様子で笑い出した。

「………?」

 首を傾げるターヤ。

「そんな事、超真面目人間のターヤに言われたくないな。ここに入ってきた時のターヤの顔ったら、思い詰めた感じで顔面蒼白だったわよ」

 グレースの言葉に、ターヤは些か慌てた。冷や汗と共に鼻の頭を掻くターヤ。

「そ、そうだったかな?……いや、私のことはいい。頑張りすぎて無茶なことだけはしないで欲しいと、そう言いたいのだ」

「はいはい、分かりました。分かったから、何に頭を悩ませていたのか教えて?」

 グレースは顔を俯き加減にし、下から覗き込むようにターヤの顔を見上げた。黒目がちの瞳を好奇心いっぱいに輝かせながら。

「……わ、私は何も悩んでなど」

 言葉を詰まらせるターヤであったが、グレースの無言の圧力には耐えられなかった。

「分かったよ、分かりました……」

 肩をすくめてお手上げのポーズを取ると、ターヤは渋々口を開いた。

「なあ、グレース」

「何……?」

「私達のしている事は正しいのだろうか?連中に戦いを仕掛けても、勝ち目はないんじゃないだろうか?」

「何を今更……。ターヤ、あなたのしている事はベストではないかも知れないけどベターだと思うわ。たとえかなわないまでも、この状況に甘んじるわけにはいかない。そうでしょ?私達は連中に弄ばれ、精神を病んだ子達を嫌と言うほど見てきたわ。それは、女王ラシュミラ様でも例外じゃなかった……」

 憂いの表情を浮かべるグレース。ターヤは泣き言を言ったことを後悔した。グレースの言う通り、他の選択肢は存在しない。それは十分に理解していた筈だったのに。

「………かなわないまでも、か」

 溜息混じりにターヤは呟いた。

「そ、それは言葉のあやで……」

 言いよどむグレースの言葉を、ターヤは遮った。

「すまない、……気弱になってしまって。私はどうかしていたようだ。だが、かなわないとは思わない。そうしなければならない」

 自分に言い聞かせるようにターヤはそう言った。グレースの瞳に、憐憫の色が滲む。

「可哀想な可愛いターヤ……。こっちにいらっしゃい。慰めてあげる」

「可哀想なって……なんだいそれ?」

 苦笑しながらも、ベッドに身を乗り出すターヤ。

「チャールズが悲しいときにはそう囁いてキスして欲しいと言ってたのよ」

「昔の男?」

「ううん、マンガの登場人物……」

 そう言うとグレースはターヤの顔を胸元に引き寄せ、優しく口づけをした。

 舌を絡ませ合い、熱心に唾液を貪りあう二人。やがてターヤの唇はグレースの口元を離れ、首筋を伝い、鎖骨を辿っていく。

「ん、くすぐったい…ふふ」

 肩をすくめ、含み笑い漏らすグレース。ターヤは小さく笑みを返すと、すぐにまた食事の続きに取りかかる。

 ターヤの食事の取り方は丁寧で、繊細なものであった。白く尖った顎を唇で優しく触れると、滑らかで白磁のような首筋に舌を這わし、鎖骨のくぼみを唇で何度も辿る。柔らかな乳房の中に顔を埋めると、慎ましやかなデコレートを唇の先で甘噛みする。

「グレースの身体はまるで砂糖菓子のようだ……」

 賛辞の言葉を呟きながら、舌の先でコロコロと乳首を弄ぶと、埋没していた肉の芽が次第に堅さを増し、期待に隆起する。

「そんなに熱心におっぱいをしゃぶるなんて、ターヤはやっぱり赤ん坊ね……」

 そう言いながら、グレースは言葉通りターヤの頭を母親のように優しく掻き抱くと、さらさらと流れる金髪を指梳き、慰撫した。

 今、二人はお互いに寄りかかっていた。心も、身体もである。

 そしてターヤの愛撫は次第に熱がこもり始め、グレースの額もだんだんと汗ばみ始める。

「ふんぅ……、ターヤ、……もっと、きつくしてぇ」

 汗ばんだ柔らかな肌に女の細い指が這い回り、ねっとりと撫で回す。

 乳房をこね回し、乳首を捻りあげ、吸い付き、舐め回す……。

 その度にむにゅむにゅと淫靡な変形を繰り返す乳房。柔らかなゼリー菓子のようにふるふると振るえ、唾液と汗でいやらしい光沢を放っている。

「はむぅ、……グ、グレース」

 ぴちゅぴちゅと、涎が顎を濡らすのも構わずに、ターヤは執拗に乳房を貪った。

「ターヤ、ターヤ、……下もしてぇ」

 やがて、焦れたグレースが腰を突き出してターヤを誘うと、ターヤはようやく下腹部へと手を伸ばした。

 縦長の、綺麗な形のへそを丹念に舐め回しながら、淡い草むらを撫で回すターヤ。白く柔らかな腹部が呼吸と共に上下し、ターヤの指の動きにあわせてぴくぴくと震える。

「お願いぃ…あそこも苛めてぇ……あんっ!……身体が切なくて、頭が変になりそう……」

 目に涙を滲ませて、グレースが哀願する。ターヤはおもむろに少女の片膝を持ち上げると下腹部を白日の下に晒した。

「そんなに、拡げないでぇ……。は、恥ずかしいよぉお」

 羞恥に頬を染め、手で顔を覆うグレース。

 むせ返るよな女の匂いが鼻腔をくすぐり、ターヤは胸が高鳴った。

 ほとんど日光を受けることのないそこは、雪のように白く、ほんのりと紅色に色づいていた。ぷくりとふくらんだ丘は絶妙なカーブを描きながら切れ込み、わずかな花弁を覗かせている。

 ターヤはごくりと息を呑むと、指を二本、柔らかなそこへとあてがった。そうして、わずかに力を込めると、肉割れが鮮やかな赤い色を晒す。中に溜まっていた汁がとぷりと溢れ出し、太股を流れ伝った。

「こんなに涎を垂らして、行儀の悪いお口だ……」

 言うや、ターヤは太股を流れるその涎に口をつけた。そのまま舌で這い登り、淫裂に顔を埋める。

「あああぁ!?」

 うっとりと、歓喜の悲鳴を上げるグレース。ターヤの頭を押さえつけ、むちむちとした太股で顔を挟みつける。

 ずちゅる、ちゅば、ちゅむ……。

 溢れ出る甘露を、喉を鳴らして飲み下すターヤ。くねくねと腰を揺らし、歓喜にむせび泣くグレース。

「ふんぅっ!気持ち良いよぉおっ!ターヤぁ……んぅ」

 シーツを握り締め、快感に耐えるグレース。つま先を突っ張らせ、がくがく痙攣を起こす。

「いやぁっ!気持ち良いよぉおっ!!ん、………ひっあぁあ!!!」

 やがて、激しい痙攣と共に絶頂に登り詰めるグレース。

 ターヤが股間から離れても女陰はぱっくりと開き、びゅくびゅくと妖しく蠢いていた。ターヤはそろりとそこに触れると、優しくマッサージするように撫でさすった。

 快感の余韻に浸りながらも、半身を起こすグレース。

「私にもターヤにさせて……。こっちに来て、私に抱かせて」

 息も絶え絶えにそう呟くグレース。ターヤは優しく微笑むと、グレースの横に潜り込んだ。

 互いに肌を重ね合い、足を絡め合うターヤとグレース。

 しかし、ターヤはそのままグレースを抱きしめただけであった。ターヤの身体が小刻みに震える。

「………ターヤ、………ターヤ?………泣いてるの?」

 

「そろそろ、出発するよ。……友よ」

 ベリアルはそう告げるが、サンダルフォンはその言葉には応じなかった。

 サンダルフォンの書斎は相も変わらず薄暗く、湿った紙の匂いと、かびたインクの匂いが立ちこめている。

 彼はベリアルが存在していないかのように立ち上がると、衣擦れの小さな音と共に窓に向かった。

「ベルゼブルの召還はどうなっているんだい?サタン召還の為の巨大な魔法陣と、生け贄を用意していただろう。そろそろ所在がつかめたんじゃないか?」

 ベリアルの言葉に、サンダルフォンは憮然と応じた。

「………気になるのか?」

「はあ、やれやれ……。我が君は何と口の重いことか。石造りのガーゴイルだって、もっと口が軽いだろうに……。ベルゼブルは僕たちの戦友じゃないか。気になるのは当然だろう?身体と知能を奪われ、幽閉空間を情報化されて漂っているなんて、なんと哀れなことだろう……。ついこの間まで僕もいた場所なんだが、考えただけでもぞっとするね。君には想像つかないだろうが、あそこはとても気の滅入る場所さ。できることなら早く解放してやりたいよ」

「私も奴の戦闘力には期待しているが、まだ呼び出せないでいる。場所はつかめているのだが、応じないのだ。召還の儀式も何度か試みたが、失敗だった」

「ふーん、そうかい。まあ、あいつは僕と違って武闘派だから、案外と血の匂いが足りないのかも知れないね……」

 心配しているという割には呑気に答えるベリアル。サンダルフォンも、ベリアルの言葉に真意がないということは承知していて、彼の方を振り返ろうともしない。

「出陣の報告に来たのではなかったのか?」

 サンダルフォンは道化芝居にうんざりしてそう言った。ベリアルは一瞬、冷たい視線をサンダルフォンに向けたが、すぐに驚いた顔を作ると大袈裟に応じた。

「その通りだよ、我が友。こればかりはベルゼブルが召還される前にやっつけておかねばならない。彼が戻ってきたら、美味しいところを全部持って行かれかねないからね。それでは行って来るよ、我が君」

 そう言って、部屋を出ようとするベリアル。しかし、立ち止まると、何かを思い出したように振り返った。

「そうそう、この塔の最下層にいる女の子。今度、僕に紹介してくれないか?あんな可愛い子はそうそうお目にかかれないからね」

 戯けた調子で片目をつぶってみせるベリアル。しかし、サンダルフォンはその言葉には応じなかった。

 

 ベリアルが部屋から出ると、そこに丁度テチアルが通りかかった。テチアルは一瞬、強張った顔を見せるが、すぐに気を取り直すと軽く会釈した。

 ベリアルは面白そうな表情をテチアルに向けると、好色な瞳で全身をを舐め回すように眺めた。白い薄衣は天使の蠱惑的な身体にまとわりつき、柔らかな曲線を描いて流れている。この場でこの天使を喰ってしまおうかと、一瞬そんな淫らな欲求が頭をかすめる。

「これから出陣なさるそうですね。御武運をお祈りしています……」

 身体を隠すように腕を組むと、テチアルは当たり障りのない言葉を掛けてその場を逃げ出そうとした。

「ありがとう……。戻ってきたら、真っ先に君に会いたいものだね」

 ベリアルは苦笑すると、特に何をするわけでもなくその場を立ち去った。

 後に残されたテチアルは薄気味悪そうにベリアルの後ろ姿を追っていたが、悪魔が戻ってきそうにないことを知ると、軽くノックをしてサンダルフォンの部屋へと入った。

 部屋にはいると、サンダルフォンは椅子に身体を預けて思案していた。例によってテチアルに目もくれないが、テチアルは緊張を追い払おうと小さく咳をする。

「地上の世界はどうか?」

 意外にも、先にサンダルフォンから声が掛かり、テチアルは慌てながらも上擦った声で返事をした。

「は、はい。生体型情報伝達ケーブルは自己増殖を続け、地表のほぼ全体を埋め尽くしています。また、神の軍勢は未だに動きを見せず、沈黙を守っています」

 サンダルフォンはテチアルの報告に小さく頷いた。

「ふむ、メタトロンめ、何を考えている?我らを侮っているのならそれに越したことはないが………」

 独り言を呟くサンダルフォン。

「ところで、最下層にベリアルは行ったのか?」

 サンダルフォンの突然の質問に、怪訝な顔を向けるテチアル。

「いえ、ベリアル様は最下層にお見えになったことは一度もありません。それが何か?」

「いいや、何でもない。…それより、ベリアルが面白いことを教えてくれた。お前とグミアルにはベリアルが出発したあとで奴の後を追ってもらう」

「ベリアル様を援護するのですか?」

「いや、別件だ。ベリアルに悟られぬように隠密行動をとってくれ。あと、用意していく物があるが、それはグミアルと共に取りに来てくれ……」

「……??…あ、あの、何を?」

 恐る恐る質問するテチアルであったが、サンダルフォンの冷たい視線に飲み込んでしまう。サンダルフォンは気付かない振りをして再び下知を下す。

「グミアルと共に戦場に赴き、こちらの指示するように事を成せ。時間がないので取り急ぎ行え………」

「あ、はい。申し訳御座いませんでしたッ!取り急ぎ、グミアルを呼んで参ります」

 淡々と、しかし有無を言わせぬサンダルフォンの語調に、テチアルは慌てて部屋を飛び出した。

 

「……愉快」

 ベリアルはその炎の戦車の上で、歪んだ笑みを浮かべた。

「何と愉快なことだろう。そうだろう?我が友サンダルフォン。この窮屈な地下世界で、戦うべき相手は五万といる。出来損ないのグリゴリども。それを叩きのめせばお次は神の軍隊だ。何とも絶望的な状況で、狂おしいほど刺激的な事態じゃないか。堪らなくて、笑いがこみあげてくると言うものだ」

 芝居掛かった調子でそう言い放つと、ベリアルは手にした雷剣をかざした。

「敵を一つの根から殲滅せよっ!!絶望と希望を混ぜ返してやるのだっ!!」

 ベリアルの号令と共に、無数の機械魔が怒号をあげて飛び立った。

 その中心にあるのはベリアルの炎の戦車と、そして今や魔族として復活を遂げた神の獣ケルビム。

 ケルビムは黒く山のような巨体を揺さぶると、三つの頭で咆哮をあげた。凶暴な瞳が赤い炎を宿したように明滅する。

 そして、その邪悪な獣の背には、まるで騎乗するように少女の半身があった。ケルビム召還の際に生け贄にされた少女であったが、今や魔物の身体の一部として存在するのみで、その意識は、魂は存在せず、虚ろな瞳であらぬ方向を見ていた。

 その少女の魂と同様にこの地下世界も空虚で、静けさに満ちている。その中を、まるでテレビのノイズのように悪魔の軍勢が突き進んでいく。

 やがて訪れるであろう狂気の殺戮に胸高鳴らせ、淫欲に血を滾らせながら。

 

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