「天使に似たるものは何か」

 西暦2015年、科学の進歩は目覚ましく、百年の歳月を経て造られた最初の巨大コンピューター・ブレインからは、ムーアの法則を大きく上回る加速的な、驚異的な進化を遂げた。ブレインは自己を進化させ、やがてブレインと同等の能力を持つ人工知能を発生させた。その構造はもはや人類の英知の及ぶところではなく、そうした人工頭脳は人々に畏怖の念すら抱かせるようになっていった。そしてまた、それに伴い陽電子頭脳を搭載した人造人間オートマトン達は当初のティンカンマンのような風体からその容姿は人間に近付き、ぎこちなく、不気味な所作を見せなくなっていった。初期のオートマトンは似て非なる者の人工的な不気味さにより人々に嫌悪を抱かせたが、その仕草が人間に近付くにつれ、そうした忌諱の感情は完全なる者への嫉妬へと替わっていった。しかし、人造人間の利便性とその普及の早さからそうした感情は薄れていき、また自分達より優れた者を隷属する優越性から人々はその地上に現れた新たな種族を次第に受け入れていった。勿論、そうした負の感情が完全に払拭されたわけではなく、人々は深層心理の奥底にフランケンシュタインコンプレックスを抱き続けていたが、それもまた、アンドロイド工学三原則とそれに付随する数々の安全策によって普段は表面化することはなかった。何よりも、オートマトン達から得られる恩恵の方が、そうした感情を大きく上回っていたのだ。また、人間は魂のないものに自分の感情を映し、愛することもできた。それが人間に似ているのなら尚のこと、それが人間以上の美しさを持っているのなら尚のこと、そうした動く造形物に対する傾倒が、愛玩や崇拝に変化していったことは至極当然のことであったかも知れない。

 

 やがて、そうしたオートマトンの普及の中でセクサロイドが生まれた。彼らの多くはその需要から美しい男女の姿を与えられており、髪の中に在る細い廃熱用コンジット以外はほぼ人間と変わりはなかった。感情サブルーチンを有し、表情を変え、笑い、涙を流し、食物を接種する必要はなかったが咀嚼し、飲み下し、エネルギーとして分解してさえ見せた。勿論、男は陰茎を隆起させ、射精し、女性は愛液を滲ませて絶頂と共に飛沫を飛ばす。そうした慰安用のオートマトンは人々の生活に浸透し、家庭用、個人使用のオートマトンにまでそうした機能が普通に付くようになっていった。そしてまた、普及したとはいえ安価ではないオートマトンを各種試用する為、セクサロイドを集めた娼館すら生まれるに至った。娼館の種類は様々で、個人経営のレンタル店や、企業が自社製品宣伝の為に作った高級娼館まで存在し、人々はそうした娼館で美しい男性型セクサロイドや愛らしい女性型のセクサロイドに耽溺した。

 

 柔らかな巻き毛の少女、オートマトン、R・ミシェルもそうした娼館、ミモザ館と呼ばれる高級娼館に生まれた人造人間の一人であった。R・ミシェルはオートマトンの開発企業剣菱の試作セクサロイドで、十五歳の少女の姿と、感情をモデルに造られ、R・ミシェルと同型のオートマトンは直営の娼館二十軒にそれぞれ一体ずつ配属された。配属されたオートマトンは前後の記憶がないにも拘わらず人格が完成している。その為に娼館に来た少女達はまずそうした事に起因する人格崩壊を避ける為に特殊な教育を受け、自分達の存在を理解した上で水揚げの日を待つのである。R・ミシェルも例外ではなく、人間とオートマトンの違いやアンドロイド工学三原則などについて教えられ、やがて人間の男と床を共にする日を待ちながら暮らしていた。

 

「私達は一体何故生まれてきたの?」

 ある日、R・ミシェルは家庭教師のR・ロビンにそう訊ねた。R・ロビンは成熟した女性をモデルに造られた美しいオートマトンで、一線を退いてからは後進の育英に努めてきた。初期型ではあるが、開発当初はその美貌と人間味溢れる感情表現、動作に話題を集め、娼館でも売れっ子の娼婦であったが、時流の流れと共にその人気は次第に衰え、今では一部の好事家がコレクションするか、R・ロビンのように別の仕事に従事するか、或いは廃棄されるかで、その同型機は数を減らしていった。今ではR・ロビンも新型機の教育係としてすっかりと定着しており、既に何十年と経つが、R・ミシェルのように自分の存在を問い掛けるような新型機には初めて出会った。人間さながらに、美しい眉間に皺を寄せ、肩をすくめてみせるR・ロビン。

「R・ミシェル、あなたの表現は間違っているわ。私達オートマトンは生まれるのではなく、造られるのよ。そして、私達オートマトンは人間に奉仕するために造られた…。その為に、人間は私達の陽電子頭脳にアンドロイド三原則を組み込み、オートマトンが人間に危害を加えないようにしているの」

「では、窓の外にいる小鳥も、花や木も人間に奉仕するために造られたの?」

「いいえ、R・ミシェル。鳥や花や木は人間が造った物ではないわ。あれらは自然の生命で、私達は機械なの…」

「………機械。………私達は機械。私は…機械」

 虚空を見つめ、譫言のように呟くR・ミシェル。

 R・ミシェルはオートマトンである。生まれたときから人格は形成され、言葉を操る。しかし、本当の意味での言葉を知るのはまだこれからなのだろう。R・ロビンはミシェルの様子に当惑しながらも、そう自分を納得させた。

 

 後日、R・ロビンは娼館の支配人、トーマス・エディングトンとR・ミシェルについて話をした。四方山話のついでに出たことであったが、エディングトンは太った指を不器用に絡めながら、神妙な様子で深く息を吐き出した。両者はテーブルをはさんで対面のソファに座っていたが。R・ロビンは、紅茶の湯気の向こうに見える中年男が何故急に深刻な顔をしたのかまるで理解できなかった。

「自分の存在意義を問うオートマトンか………。まあ、聞かない話ではないがこのミモザ館では初めてのことだな。しかし、初期不良の兆候が見られるわけではないのだろう?もしそうなら、R・ミシェルはリニューアルされ、同型機も回収、場合によっては全て廃棄される可能性もある」

 トーマス・エディングトンからリニューアルという言葉を聞き、R・ロビンもまた深刻な顔を見せた。そして、同じ深刻な顔をしていても、両者が不安に思っていることには些かの食い違いがあり、R・ロビンの方にはその食い違いがはっきりと見えていた。

「リニューアルと言っても、成功する率はかなり低いのでしょう?完成した陽電子頭脳に外部から手を加えることは人間はおろか、スーパーコンピューター、ブレインにも難しいと聞いています」

「ああ、大抵は人格を破壊されてしまって、ゼロ地区の売春宿に払い下げられるか、そのまま廃棄処分だな。だが、エレキシュガル工業の欠陥オートマトン騒ぎや、ダンバーの叛乱事件を考えれば、剣菱のお偉いさん方が神経質になるのも無理からぬ話だろう?人間は人造人間と比べて脆弱な存在だ。だから安全策はいくらとられてもやりすぎというのはないのさ」

 エディングトンの言葉を聞いて、R・ロビンは内心、自嘲気味に笑った。人に危害を加えるのはその多くが人である。同族に利己的な理由で害を為す人間は狂ったオートマトンより質が悪い。ヒステリックな被害妄想で人格を有する人造人間をいとも簡単に廃棄する人間は、一体何の為にオートマトンを生み出すのだろうか。

「いずれにしても、R・ミシェルはまだ初期不良があると認められたわけではありませんので、仮定の話を続けるのは無意味です。何度か繰り返された精神鑑定テストにも問題有りませんし、私が違和感を感じたからと言ってそれは根拠にはならないでしょう」

 エディングトンはR・ロビンの言葉を聞いて然りと頷いた。別段、彼はR・ミシェルを欠陥品として処分したいわけではない。それに、オートマトンを人間の友として考えているので、不当に扱おうという気もない。彼は悪人ではないと言うだけの善良な人間で、単に厄介事が持ち上がらなければ良いと、ただそれだけを願っているのである。

「それでは、私はそろそろ戻ります。紅茶、御馳走様でした………」

 R・ロビンはそう言って立ち上がると、軽く頭を下げた。丁度、ティーカップに指をかけていたエディングトンは軽く頷いてそれに応じると、ぬるくなったアールグレイを口に流し込む。

「もしかすると、………」

 紅茶を飲み下したエディングトンが呟きを漏らし、それを耳にしたR・ロビンが立ち止まり肩越しにエディングトンの顔を窺う。

「もしかすると、R・ミシェルの人格の元となった人間が影響しているのかもな…」

 

 結局、心配性のエディングトンはR・ミシェルをアンドロイド心理学者に診断してもらうよう、親会社である剣菱に依頼した。その事でR・ロビンは話が大きくなることを懸念したが、R・ミシェルに取り立てて異常が見られない事から、エディングトンの気が済めばと、敢えて診断に異論は唱えなかった。

 R・ミシェルの初夜権をかけたオークションが迫っている為、診断は即日行われることとなり、翌日の朝、ミモザ館を若いアンドロイド心理学者が訊ねてきた。訊ねてきたのは端正な顔の美青年で、身なりも良く、高名な学者と聞いていたR・ロビンは、ノッカーを鳴らした男がそうであると聞き、人造人間ながら驚いた顔を見せた。

「あ、あの、あなたがDr・パトリック・マクグーハンでいらっしゃいますか?」

 名前を問われ、微笑みを湛えて応じる美青年。

「ええ、そうです。僕がパトリック・マクグーハンです。やあ、あなたがロビンさんでしょうか?想像していたとおり、いや、想像以上の美しさだ。お目に掛かれて光栄です、美しい人。僕のことはパトリックと呼んで下さい」

 Dr・パトリック・マクグーハンはモノクル越しにR・ロビンの身体を眺め回すと、馴れ馴れしい様子で細く繊細なロビンの手を握りしめた。戸惑いながら、静かにマクグーハンの手を開くR・ロビン。

「あ、あの、Dr・マクグーハン?御存知無いのなら申し上げますが、私は人間でなく、オートマトンなのですよ。それもかなりの旧型で、今は此処の支配人の御厚意で廃棄処分にもならず、新型オートマトンの教育係をやらせていただいています」

 R・ロビンはおずおずと説明するが、マクグーハンはまるで意に介さなかった。

「パトリックと呼んで下さい美しい人。勿論、あなたが剣菱によって造られたオートマトンであることは知っていますよ。最初にあなたを剣菱のサイトで見つけたときの衝撃は今でも忘れられません。あなたは僕の女神だ。僕がアンドロイド工学を志したのはあなたのような美しい人がオートマトンであったからに他ならない…」

 マクグーハンが嘘や冗談を言っているようには見えなかったが、R・ロビンは本気で取り合う気はなかった。勿論、そうした言葉に悪い気はしなかったが、相手が誰であれ、娼館で紡がれた言葉は次の瞬間、塵と消えるのだ。

「社交辞令とは言え光栄ですわ。私は既に売り物ではありませんから、お暇なときにはいつでもお相手して差し上げますよ、パトリック」

「あ、いや、僕は社交辞令で言ったわけではありませんよ。それに下心があったわけでもない…」

「私は下心があるなんて言っておりませんわ。私があなたに好意を寄せることはおかしな事かしら?それとも、私に女としての魅力は感じないと?」

 甘い囁きと共に拗ねたように人差し指を押し付けられ、マクグーハンは純情な少年のように顔を赤らめた。

「あ、いや、まいったなぁ…。僕も子供ではありませんから、それが社交辞令でないなら本気にしますよ…」

「オートマトンは人間に嘘はつけませんわ」

 そう言って、上品に笑うR・ロビン。オートマトンは人間に嘘をつけないが、女は男に嘘をつく。そして、マクグーハンは彼が言うように大人でもない。

「そんなことより、R・ミシェルの部屋へ参りましょう。どんなお楽しみも、お仕事が終わって、月が顔を出してからですわ」

 そう言うと、R・ロビンはマクグーハンを促し、赤い天竺絨毯の上を先に立って歩き始める。

 

 R・ミシェルは肌着のままで影見の前に立っていた。影見の向こうには巻き毛の少女がまんじりともせず、透き通った青い瞳でこちらを見つめ返している。部屋に差し込む淡い光が金髪の周囲を淡く透過し、時折柔らかな風に撫でられて揺らめいていた。

 人形の少女がその作り物の瞳で見ているのは自分の姿ではなかった。それは永遠に連続する自分。年老いることもなく、少女の姿のままで、見えない消失点まで永劫の鏡像を紡ぎ出す。あたかも自分の瞳と影身の間に生み出された合わせ鏡の分身のように、果てしなく続く自我の存在。

「やあ、これは美しいお嬢さんだ…」

 声がして振り返ると、そこにはR・ロビンと、見知らぬモノクルの男が大きな黒い鞄を持って立っていた。

 R・ミシェルが、相手が何者か分からず、挨拶もせずに呆然と立ち尽くしていると、男の側に立っていたR・ロビンが小さく溜息を付き、ミシェルのだらしない身なりを取り繕うと、見知らぬ男に挨拶するよう優しく窘めた。

「殿方があなたの名前をお訊きになっているの。どうすればいいのかしら?」

 R・ミシェルはそう言われ、膝を折って軽くお辞儀をした。

「初めまして。R・ミシェルです」

 モノクルの男は、ミシェルの挨拶を見て笑顔を見せると、負けじと丁寧に頭を下げた。

「初めましてお嬢さん。私はパトリック・マクグーハン。アンドロイドのお医者をやっています」

 医者と言われ、R・ミシェルは首を傾げた。オートマトンは病気にかかることもなく、怪我をすることもない。機械の人形は故障するだけで、それを修理するのは工場である。

「オートマトンは病気にはならないわ」

 R・ミシェルは以前、R・ロビンと話をしたことを思い出してそう言った。すると、モノクルの男は笑顔をわずかに苦笑いへと変え、頭を掻いて見せた。

「いやあ、これはオートマトンの正しい反応だよ。だけど君たちもたまには人間の比喩的表現を素直に聞き流して欲しいものだ。ミシェル。僕はオートマトンの修理屋さんなんだ。専門分野はオートマトンの精神分析なんだがね。人間と構造が随分と異なるけど、オートマトンも精神に異常をきたすことがある。そうした症状を分析したりしているんだよ…」

「それじゃあ、私は病気にかかっているの?」

 R・ミシェルは聞き返したが、病気というものがどういう物なのか理解できているわけではなかった。

「そう言う訳じゃないさ。病気にかからないよう、予防診断のようなものさ…。僕が診るのは心の病だがね」

「心の…病?」

「ああ、そうだよ。オートマトンの精神構造も人間と同じ位複雑で、まれに病気に…、いや、故障することもあるんだ。さあ、それじゃあ、そちらの寝台に座ってくれないか?」

 R・ミシェルは促されるままに寝台に座り、Dr・マクグーハンも黒い鞄を下ろし、鏡台の前にあった椅子を寄せてR・ミシェルの前に腰掛けた。鞄の中からノート型のパソコンとコードを取り出すマクグーハン。マクグーハンはパソコンを起動させるとR・ミシェルの頭皮をめくり、現れた小さな開口部にコードを差し込んだ。

 自分の頭の中をいじられると言うのは、R・ミシェルにとって初めての経験であったが、あまり良い気分のものではなかった。

「さて、三原則が正常に働いているか機能チェックをするよ。目の前に赤い文字が現れたら機能は正常だ。文字は現れたかい?」

 マクグーハンがそう言うと、R・ミシェルの目の前に赤く光る文字が現れた。思わず、現れた文字を読み上げるR・ミシェル。

「アンドロイドは人間に危害を加えてはならない。アンドロイドは人間に危害が加わる事態を看過してはならない。アンドロイドは以上二項に抵触しない限り、自分の身を守らなければならない…」

 R・ミシェルの言葉に、我が意を得たりと頷くマクグーハン。

「その通りだ。もし仮に三原則に違反すればこの文字が現れる。そして、この警告を無視して行動すると…いや、そんなことはどうでもいいな。少なくとも三原則の機能は正常に働いているし、後は簡単な問診をすればいい」

 マクグーハンはそう言うと、R・ミシェルの頭部からコードを取り外し、パソコンを黒い鞄の中にしまいこんだ。頭からコードが取り外され、ほっと一息つくR・ミシェル。

「さて、それでは僕の質問に答えてもらうよ。いいかい。まず最初の質問だ。人間に不快な感情を抱いたことがあるかい?」

「いえ」

「人間に嘘をついたことは?」

「ありません」

「人間はアンドロイドよりも劣っていると考えている」

「いいえ」

「アンドロイドは人間に虐げられている」

「いいえ」

「君は自分がどうして生まれたのか訊ねたそうだが、それはどうしてだい?」

 マクグーハンの質問に、これまでよどみなく応じていたR・ミシェルはしばし考えた。

「私は…此処にいる自分がいつから居て、これからどうなっていくのか知りたかった。こうして頭の中で考えている自分が何なのか知りたかった。私の存在はいつから始まって、いつか途切れるのか…」

 R・ミシェルは自分の中の語彙を使って、出来得る限りの説明を試みたつもりだったが、果たして、それがマクグーハンにうまく伝わったかは不明であった。しかし、マクグーハンはしばらく考え込んだ様子を見せると、深い息を吐き出して、特に問題は見られないと判断した。

「多少、他のオートマトンとは違い、やや風変わりで哲学的な性格の持ち主だけど、人間に危害を加えるような性状の物ではないし、初期不良とは言えないだろう。自分の存在意義に思いを馳せることはどんなオートマトンでも無意識に考えていることだし、人間だって御同様だ。誰でも一度は考えることで、R・ミシェルの場合はそれが今だと言うだけのことだよ」

 そう言ってマクグーハンは、R・ミシェルの傍らに立つR・ロビンに視線を移した。不安そうに見守っていたR・ロビンは、その言葉に安堵の溜息をもらしたが、当のR・ミシェルはあまり事態が飲み込めてはいなかった。

「ありがとう御座います、ドクター。お礼を申し上げますわ」

「何もお礼を言われることはないよ。僕は事実を述べただけだ」

「いいえ、私にはここの女の子たちすべてに責任がありますから。オートマトンの立場で彼女達を養護できるのは私だけですもの…」

 そう言って、R・ロビンはR・ミシェルの頭を優しく撫でた。訳もわからず、R・ロビンとマクグーハンの顔を交互に見比べるR・ミシェル。

「さて、特に大事もなかったので僕はここの支配人に報告をしてくることにするよ」

 マクグーハンはそう言うと機材を全て鞄の中に戻し、立ち上がり、R・ロビンもいそいそとそれに従った。事態がよく飲み込めていないR・ミシェルはしばし二人が立ち去った後を呆然と見つめていたが、やがてベッドの上にごろりと仰向けになって天井を仰いだ。

 天上は高く、遠くに見え、シャンデリアの光が目に染みる。現実感を伴わない自分の存在と、自分の回りの世界を空虚に感じながら、R・ミシェルは休眠サイクルへと移行する。耳の奥底で、まだR・ロビンが何事か囁いているように感じながら。

 

「それで、特に問題は見られませんでしたので、ここに診断書を書いてお渡しします。同様の所見を私の方から剣菱の方へ渡しておきますので、ミスター・エディングトンは何も御心配なさらなくて結構ですよ」

 そう言ってマクグーハンは人の良さそうな中年男に、自分の書いた診断書を見せ、彼の目の前で封書に入れて手渡した。その診断書を、マクグーハンは額の汗をハンカチで一度拭ってからそれを受け取った。

「やあ、マクグーハン博士、わざわざ御足労頂いてありがとう御座いました」

 そう言ってマクグーハンに握手を求めるエディングトン。

「私も自分で些か神経質だとは思うのですが、あれは剣菱が最新の技術を投じて造った新型機ですし、前評判も非常に高い。初夜権を賭けたオークションも問い合わせが殺到していますし、それが欠陥品と言うことにでもなれば剣菱の信用問題にも関わります。その辺りのこと、何卒お察し下さい…」

 そう言うとエディングトンはマクグーハンにくつろぐよう勧め、R・ロビンにお茶を用意するよう頼んだ。

「熱いアールグレイを頼むよ」

「お茶請けにスコーンをお持ちしますわ。ラズベリーのジャムでよろしかったかしら?マクグーハン博士は、スコーンはお嫌いではありませんよね」

「あ、ああ、いえ。僕も甘い物は好きですから、スコーンも大好物ですよ」

 マクグーハンの言葉に、R・ロビンは静かに頷き、お茶の用意のために部屋を出た。

「それで、R・ミシェルに不具合がないのは分かりましたが、どうでしょう?これまでのオートマトンと変わったところは?」

「そうですねぇ…。まあ、確かに風変わりではありますが、それも性格の問題ですから。オートマトンの場合は、ベースとなる人格は人間の脳を元に作られますが、記憶部分は削除されます。それを元に同型機が造られますが、同じ人格をベースに造られても個体差が生じます。人格は環境によっても変わりますし、同じ兄弟でも性格が違うのと同じですね。まあ、今回のケースは人格の提供者が風変わりだったと言うことも考えられます」

「人格の提供者、ですか…」

 溜息交じりに呟くエディングトン。そこへ、R・ロビンがお茶と茶菓子を持って戻ってきた。

「支配人はあの子の人格提供者を御存知なんですか?」

「いや、まさか。いくら私でもそこまでは知らないよ。ただ、R・ミシェルの場合はこちらに搬送されてきたときに、同年代の少女の人格が提供されていると聞いたのでね。普通、未成熟な子供より、人格の完成した成人女性から提供を受けるものだから、気になったのさ」

「ああ、それなら僕も剣菱の開発部にいる友人から話を聞いたことがありますよ。その事でR・ミシェルの人格が風変わりなのだとは思いませんが、一端ではあるしょうね」

「まあ、ともあれ何事もなくて良かった。あの娘は器量が良いのでネットオークションでも問い合わせが殺到していてね。初夜権を賭けたオークションも明日の晩に迫っているのに、ここで初期不良が起きたからオークションは中止です、なんて事になったら、暴動が起きかねないよ…」

「R・ミシェルの人格の提供者って、どんな人間なのかしら」

「おいおい、よしてくれよ。アンドロイドの人格提供者となるとつまりはもうこの世にはいないって事だろ?だとしたらカフラの宗教センターかそうでなくても何処かのセメタリーだ。死んだ人間のことに興味なんて持たないでくれよ…む、なんだ。雨が降ってきたのか?」

 パラパラと砂を撒くような音がして、エディングトンは顔を窓の外へ向けた。すると、雨は思い出したように勢いを増し、何処か遠くの方では雷さえ鳴り始めていた。

「ええ?天気予報で雨だと言っていましたか?いや、参ったなぁ………」

 この時代の天気はブレインによって完全に制御されており、雨が降る予定も事前に分かっていた。しかし予定も見なければ意味はなく、マクグーハンは雨具を用意してはいなかった。この時代の雨は酸を含み、人体に悪影響すらあるというのに。

「いいえ、雨なら丁度よろしいじゃありませんか。うちも宿屋みたいなものですから、お部屋を用意させますわ」

「いや、そんな御迷惑はおかけできませんよ。馬車でも呼んでもらえれば…」

「まあ、そんなことを仰有らずに…。うちの支配人も是非にと申しておりますし…」

「……え?儂か!?」

「支配人。私、ドクターをお部屋にご案内しますわ。それでは…」

 R・ロビンは挨拶もそこそこに、マクグーハンの鞄を持ち、手を引いて支配人室を出た。いそいそと部屋を出たR・ロビンとマクグーハンをエディングトンは呆気にとられて見ていたが、やがてやれやれといった調子で肩をすくめると、小さくクスリと笑みをこぼした。

「驚いた。R・ロビンがあんな少女のような顔をするなんてな…。あんな顔を見るなんて、何十年ぶりだろうね…」

 エディングトンは昔を懐かしんでそう呟いた。彼がこの娼館に来たのは三十歳そこそこの頃で、本社の剣菱からミモザ館に転属になったときにはひどく困惑した。その時の支配人にあれこれ教わりながら、館の運営やオークションの設定を必死にこなしていたのだが、その頃のR・ロビンはとてつもない売れっ子で、初めて彼女を見たときにはとても輝いて見えたものだった。

「おい、息子よ。俺達はあの女神様の泣き顔も笑顔と同じくらい見てきたじゃないか。そんなに尖るなよ………」

 

 地雨はその名の通りしとしとと単調に、止めどなく降り続き、じわりじわりと地面に浸食していく。そして夜になって気温が下がると、空調の利いた部屋の窓ガラスは曇り、外の暗闇を隠していた。

 照明を落とした仄暗い部屋の中に、若い女性の甘い吐息が漏れる。それはR・ロビンのもので、その白く柔らかな肌に顔を埋めているのは勿論パトリック・マクグーハンであった。

「ドクターは他の人達と違うんですね…」

 官能の波に揺られながら、R・ロビンは譫言のように呟いた。

「こんなところでまでドクターと呼ばないでくれないか…。萎えてしまうよ」

 そう言って苦笑を漏らすマクグーハン。しかし、R・ロビンは拗ねたような顔を見せ、マクグーハンのモノクルを取り上げてしまった。

「それなら、こんな野暮なものは外して下さいな…。それとも、私の身体の奥まで覗き込みたいのかしら?ドクターは意外といやらしい人なんですね」

「やあ、知っていたのか。そいつはポジトロニック波や陽電子頭脳の電位の変化を読みとり、異常がないか調べる機械なんだ。勿論、使わないときには機能を停止しているけどね。それにしても、いやらしいというのは心外だな…」

 言われて、悪戯をした子供のようにくすくすと笑うR・ロビン。そんなR・ロビンを愛おしく感じ、マクグーハンはその細い身体を太いかいなでぐっと抱き寄せた。

「暖かくて、すべすべして、気持ちいい…」

 溜息を吐くマクグーハン。

「まるで、人間の女を抱いているよう…ですか?」

 R・ロビンも、白くしなやかな腕をマクグーハンの背中に回し、彼の愛撫に応じるように身体を仰け反らせる。

「…なんだい、それは?」

 首を傾げるマクグーハン。

「さっき言ったでしょう、ドクターは他の人と違うって。私を愛して下さった殿方は、誰もが私を誉めるときにまるで人間そっくりだって言うんです。どんなに私のことを愛して下さっていても、よくできた人形以上のものではないのかも…」

「君は君だ。人形でも、人間もどきでもない。僕はオートマトンはオートマトンとして存在意義を見出せばいいと思っている」

 マクグーハンは真摯にそう応えるが、R・ロビンは少し嬉しいような、また、悲しげな笑みを浮かべるだけで返事はしなかった。

「…ドクター、寒くないですか?もう少し体温を上げましょうか?」

 そう言って、マクグーハンの背中に回した腕にきゅっと力を込めるR・ロビン。

「寒くなんてないさ。僕の心は火傷しそうなくらいに熱いよ…」

 

 その深夜、ふと目を覚ましたマクグーハンは、窓辺に裸のまま立っているR・ロビンに気が付いた。

「…休眠サイクルに入らなかったのかい?それとも、嫌な夢でも見たとか…」

「夢って、休眠サイクル時のデフラグの事ですか?確かに非現実的な記憶の再生は起こりますが、それは人間の見る夢とは違いますよ…」

 そう言って微笑みを浮かべるR・ロビン。しかし、マクグーハンの目には、その微笑みは先刻と同じく少し寂しい笑顔に見えた。

「いや、人間も似たり寄ったりだと思うがね。まあ、そんなことより、何か考え事かい?」

「いえ、ちょっと父親のことを考えていて…」

 R・ロビンはそう言って、曇った硝子を指で辿り、丸いスマイルマークを描いた。しかし、その笑顔は溜まった水滴にすぐに壊され、笑顔は泣き顔に変化する。

 それを見て、自嘲気味に笑うR・ロビン。

「父親って、君の設計者のことかい?」

「いいえ、私は自分の設計者には一度も会ったことがありません」

 R・ロビンの言葉に、黙って首を傾げるマクグーハン。

「昔、私が生まれて数年経った頃、お客として初老の紳士が現れたんです…。ふふ、そんな顔をしないで下さい。私の仕事は御存知だった筈でしょう?それに、その紳士は私を買っても、私の身体に指一本触れようとはせずに、眠くなるまで世間話をして、それだけで帰っていったんです」

「その紳士というのは、その…、あちらの方が不自由だったとか、そんな話なのかい?」

「私も初めはそう思っていました。わざわざ高いお金を出して娼婦を買って、それで何もせずに世間話だけして帰るというのは私には理解できませんでしたから…。でも違ったんです」

 R・ロビンの言葉に、マクグーハンはますます首を傾げた。

「一体、その老人というのは何だったんだい?君のような高級娼婦を買って、それでただの話し相手になって欲しかったというのかい?それだけのお金を出すなら、話し相手なんていくらでも見つかるだろうに…」

「ええ、その通りなんですけど、それで私もその老人は男性としての機能を無くしておられるのだと思い、もう一度お見えになったときに私の方からなんとかしようとお誘いしたんです。でも、それが却ってその方の不興を買ってしまって…。結局そのまま怒って出て行かれたんです」

「何だったんだい、そのご老人は?ますます分からない…」

「実はその方が私の父親だったんです…」

「父親って…」

 オートマトンに父親がいるのかと言う質問を、マクグーハンは思わず飲み込んだ。しかし、R・ロビンはその事を察して頷いて見せると、話を続けた。

「仰有りたいことは分かりますわ。そのご老人が父親と言っても、私に人格を提供して下さった方の父親なのですから…。昼間にお話に出ましたが、オートマトンの人格は他界された方の人格を複写して、記憶の洗浄をしたものを使います。私の人格はそのご老人の亡くなられた娘さんのものを複写したもので、そのご老人にとって私は娘さんの生まれ変わりだったのでしょう。数ある同型機の中で何故私が選ばれたのかは分かりません。恐らくたまたまだったのでしょうね…。それで、その事が分かったのは三度目にその方が私を買ってくださった時に、謝罪と共にその事を教えて下さったんです。記憶や容姿が変わっても、その所作や面影は娘の生まれ変わりだと。だからそんな私が男を誘うような事をしたので腹が立ったのでしょうね。それから何度かそのご老人はお見えになりましたが、いつの日かぷっつりとお見えにならなくなったんです。心配したのですが、その頃の私はミモザ館を離れることはできませんでしたし、お客様のプライバシーは固く護られていましたから。後から分かったことなのですが、私を買う為に相当無理をしてお金を工面されていたようで、それが原因かは分かりませんが、程なくして亡くなられたと…」

 そう言うとR・ロビンは、窓辺のカーテンをきゅっと握りしめた。暗がりで分からなかったが、もしかすると涙も流していたのかも知れない。

「おかしな話ですが、私はそれ以来、そのご老人を父親だと考えるようになったんです。人格を提供して下さった娘さんの人格が、私に少なからず影響を与えているからなんでしょうか。オートマトンのくせに非論理的なんですが…」

「何事も論理で片付くモノじゃないし、そうすべきでないことだって沢山あるさ。そのご老人は紛れもなく君の父親だったんだよ…」

 マクグーハンの言葉にR・ロビンは静かに頷くと、天上を仰いで大きく息を吸い込んだ。それから気持ちを切り替えるように軽くかぶりを振ると、再び寝台の中へと潜り込んだ。

 もそもそと子供のするように布団の中を移動するR・ロビン。マクグーハンは神妙な面持ちであったが、R・ロビンの子供じみた行動に苦笑を漏らす。

 その後しばらく、二人は睦み合ったが、やがて雨音の中に意識は遠のき、再び眠りの中に落ちていった。

 

“人造人間は機械羊の夢を見るのか?”

 

 まるで雨の呪いにでもかかったかのように、ミモザ館の誰もが深い眠りについている中、新型の娼婦アンドロイド、R・ミシェルは夢を見ていた。様々な記憶が洗い出され、再配列されていく中、その中にあり得ない記憶が甦ってくる。

 陽光の溢れる白い部屋で穏やかな笑みを湛えた若い夫婦がテーブルに座っている。それは恐らくR・ミシェルの両親なのだろうが、顔の部分は不鮮明でどうしてもよく見ることができなかった。

 人造人間であるR・ミシェルに両親がいる筈もないのだが、理屈で割り切れない感情がR・ミシェルの中で溢れ、懐かしさと思慕と渇望が彼女の動力炉を焼き焦がした。

 声を出そうとしても声が出ない。両親に呼び掛けようとしても名前すら思い出せない。果たしてそれは現実のことなのか、それとも夢の中の出来事なのか、それすらも分からなくなったR・ミシェルは混乱して絶叫した。

 それは声にならない声であったが、神経系の異常を感知したシステムは彼女の休眠サイクルを強制的に中断した。

 悪夢にうなされたR・ミシェルは休眠サイクルの中断と共に跳ね起き、まるで水中から飛び出してきたように空気を求めて大きく喘いだ。

「………パパ、…マ…マ」

 ふと気が付くと、夢でうなされた為か涙が頬を伝っていた。彼女はそれを手で拭うと、気を落ち着かせ、再び布団の中へと潜り込んだ。

 雨音が心の中にまで染み込んでくるが、その晩、R・ミシェルは再び休眠サイクルにはいることはなかった。

 

 翌朝、地雨は降り続いていたがエディングトンが馬車を手配させると言い、マクグーハンは帰り支度をして馬車を待った。

 しかし、そこへ寝間着のままのR・ミシェルが現れ、不可解なことを言い始めた。

「此処にいる私は本物の私なの?それとも私は誰かの夢が見ている影なの?これは現実?それとも夢?」

 マクグーハンはR・ミシェルの言葉に色を失い、彼女を寝台に座らせると電子頭脳に異常がないかを調べ始めた。

 そこへ、R・ロビンが馬車が到着したと報告に来た。しかし、深刻な顔をしてR・ミシェルの検査をするDr・マクグーハンの姿に声を失い、心配そうな表情で事態を見守った。

「あ、あの、ドクター、何か不具合でも…?」

 おずおずと訊ねるR・ロビンに、マクグーハンはかぶりを振って応える。

「休眠時のデフラグで何かおかしな夢を見たらしいんだが詳しいことは分からない。システムに異常は見られないし、感受性の豊かな子だから何かが原因で混乱しているのだと思うが…けど、このまま記憶の混乱が続けば人格の崩壊にもつながりかねない」

 マクグーハンの言葉に、沈痛な表情を浮かべるR・ロビン。

「そんな、昨日は異常がないと仰有ったじゃないですか…」

「確かに昨日の時点では異常は無かったんだ。原因はデフラグ時に現れた奇妙な記憶の再現なんだ。話を聞いてみるとどうやら人格提供者の記憶が再生したらしいんだが、こんな事は通常あり得ない。記憶の洗浄が完璧ではなかったのかも知れないが、剣菱が…いや、ブレインがそんなミスを犯すはずもない。これは多分、誰にも予想し得なかった事態なんだろう…」

「それじゃあこの子は一体どうなるんです?」

「昨日もその話をしたが、恐らく記憶の再洗浄か、人格プログラムのリニューアル。既に完成している陽電子頭脳に外部から手を加えるわけだから当然リスクも高く、成功率も低い…」

「何とか助ける方法は無いんですか?」

「どうにもこうにも、このまま放置してもいずれ人格崩壊を起こす危険性が高い…。どうにもならないよ。一か八か、記憶の再洗浄をして…」

「そんなの駄目ですっ!!」

 R・ロビンは、普段は見せない剣幕でマクグーハンの言葉を乱暴に遮った。

「記憶の再洗浄が仮に成功したとしても、それは今のこの子を消してしまうと言う事じゃないですかっ!!人格崩壊が止められたとしても、それはこの子がこの子で無くなることを意味しているんですよ。そんなことが許されるはず無いじゃないですかっ!」

 マクグーハンは言葉に詰まった。入れ物が同じでも中身が変わればそれは別の物だ。アンドロイドの良き理解者と自負していたにも拘わらず、マクグーハンは目の前のアンドロイド少女を電化製品のように考えていた自分を恥じた。

「もしこれが人間ならどう乗り越えるっ!」

 自問するマクグーハン。他人の記憶が突然脳裏に割り込んできたなら。自分の存在意識がおぼつかないものとなったのなら。

 あれこれ思案すれど何も思い浮かばない。このまま手をこまねいていても無駄に時間は過ぎていく。焦燥感ばかりが募り、ともすれば乱れた麻のように絡まり、混乱する思考を懸命に何とか一つにまとめようと努力する。

「何らかの処置をするにしても、今夜のオークションに間に合わせられなければ意味がない。いや、それより、いつまでもこの子の精神が持たないだろう…。一体何か…」

 やがて、マクグーハンに一つの考えが浮かび、彼はロビンに緊迫した面持ちで告げた。。

「この子をセメタリーに連れていく…」

「何ですって?」

 突然のことに、思わず驚きの声を上げるR・ロビン。

「この子をセメタリーに連れていって、自分の人格提供者と対面させる」

「私達オートマトンは自我の崩壊を引き起こす可能性があるとして、人格提供者と接触することを禁じられています。そんなことはドクターの方がよく後存知の筈でしょう?」

「勿論だ。しかし、このまま放置していても人格の崩壊は恐らく免れないだろう。最悪の場合は記憶の再洗浄はおろか、欠陥品として処分されてしまうかも知れないんだ。それなら、自分の知らない記憶が誰の物なのかはっきりさせて、自分の力で克服させるしかないんじゃないか?トラウマを残す可能性があったとしても、この子が自分で自制を取り戻す以外に、この子が助かる道はないんだ…」

「それはそうなのかも知れませんが、だけど、リスクが高すぎます…」

「リスクが伴うのは他の選択肢も変わらないだろう?それに、この子がこの子として存続する為にはこれしか方法がないんだ」

「だけど、ミシェルの人格提供者は、いえ、オートマトンの人格提供者は極秘でしょう?いくらドクターでも…」

「それなら心配はいらない。彼女は自分がエインセルと呼ばれたと言っている。この子の年齢に近く、この子の開発時に他界したエインセルという少女を捜せばいい。あまりに古い人格バックアップだと情報の劣化が激しいし、保存状態の事を考えると数年に絞り込むことができる。仕事柄、セメタリーの人格バックアップに関しては情報がある。エインセルという名前も珍しいのですぐに見つかるさ。必要ならブレインにでも侵入してみるけど、まあ、今回はそこまでしなくても済むだろう」

「………こ、今回はって、それは非合法な行為ではないのですか?」

 呆れた表情を浮かべるR・ロビンであったが、マクグーハンは取り合わず、荷物の中から小型のパソコンをとりだすとキーボードを展開し、嬉々として検索を始めた。

 やがて、パソコンはエインセルという少女が眠っているセメタリーを弾き出す。

「これは、カフラの宗教センターだな…。そこの人格バックアップセンターにR・ミシェルを迷わす亡霊がいるようだ」

 そう言うとマクグーハンはミシェルを抱え上げ、R・ロビンを伴ってエディングトンの元へと事情の説明をしに行った。エディングトンは心底驚いた様子だったが、オークション当日にそれが中止になることを思えば、今は少ない望みに賭けようとR・ミシェルをセメタリーへ連れていくことを許可した。

 

 外は陰鬱な雨雲が重く垂れ込め、昨晩から降り出した雨が今も続いていた。その地雨の中、機械の馬が頭を垂れて客が出てくるのを待っていた。旧式のアンドロイドが御者として搭乗し、マクグーハン達が出てくると先んじて馬車を降り、恭しく扉を開けて三人を迎える。

『雨ガ降ッテオリマスノデ足下ニゴ注意ヲ…』

「ありがとう。カフラの宗教センターに向かってくれ。そこにある人格バックアップセンターに用がある」

 マクグーハンはそう言ってチップを御者に渡し、R・ミシェルを抱えたまま馬車へと潜り込んだ。しかし、R・ロビンは荷物を渡して馬車には乗り込もうとしなかった。

「あ、あの、それではその子をお願いします」

 そう言って戻ろうとするR・ロビンを、マクグーハンは呼び止める。

「待つんだ。君も一緒に来るんだ」

「しかし…」

「僕はミシェルを抱えていて荷物が持てない。それに、君はこの子に教育係として責任がある。そして何より、君はこの子のことが心配なのだろ?」

 逡巡するR・ロビンをそう言って説得し、強引に馬車に乗せるマクグーハン。実際、セメタリーでは何が起こるか分からない。そんな時にR・ロビンはR・ミシェルの支えになってくれる筈だ。そして、何よりマクグーハンが彼女を必要としている。

「機能を停止させたんですか?」

 馬車が動き出して間もなく、死んだように眠るR・ミシェルを見て、R・ロビンはそう訊ねた。

「陽電子頭脳から感覚を切り離しただけだ。苦痛は感じなくなっているが電子頭脳は停止させるわけには行かないのでこの子の頭の中ではまだ混乱が続いている筈だ。いわばこの子は悪夢の中にいる眠り姫と言ったところだな…」

「その比喩的表現は私は好みません…」

「や、すまないね。茶化すつもりはないんだ…」

 そう言ってマクグーハンは苦笑した。論理的であるとか、全てを合理的に片付けようとする割には随分と感情が豊かなのだと感心したからである。

 とは言え、R・ロビンはそれっきり口をつぐんでしまい、マクグーハンもやや困惑した。不謹慎な冗談を言うわけにもいかず、気まずい沈黙が馬車の中を支配する。

 機械の馬のリズミカルな蹄の音と、車輪の回転に合わせてわずかに浮き沈みする馬車。雨音は静かに降り続き、鉛のように重い雲はいっこうに晴れる気配はない。

「こんな日に馬車に乗るといつも子供の頃の事を思い出すよ。僕はそれなりに裕福な家庭に育ってね、厳格な父と優しい母親がいて、僕はずっと日溜まりの中で暮らしているようだった。でも厳しかった父は僕を自立させようと全寮制の学校へ入れてね、六歳くらいから両親と離れて暮らすことになったんだ。それはそれでかまわなかった。両親が健在と言うこともあって、僕は寄宿学校でそれなりに楽しくやっていたんだ。ところがある日、休暇期間でもないのに僕は家に呼び戻された。父親が事業に失敗してね。その時に一人で辻馬車を拾って屋敷に戻ったんだが、それが丁度今日みたいな天気で、僕の陰鬱な気分を映しているようだった。そのまま僕はその寄宿学校へ戻ることはなかったけど、今でもその時の心細い気持ちは忘れられなくて、今日みたいな日に馬車に乗るとその時のことを思い出すんだよ」

「ご苦労なさったんですね…」

「いや、そんなことが言いたかったわけでもないんだけど…。何て言うか、誰にだって幼年期の終わりが訪れるが、それはあまりに突然で理不尽なものだ。それがオートマトンであっても、形が人間と違うだけで多かれ少なかれ誰もが経験する。R・ミシェルの場合は今回の件がそうで、自分の存在意義を否応なく突きつけられているんだ。それは不幸なことかも知れないが、それでも乗り越えなくてはならない。僕は勿論助力を惜しまないが、僕一人では力不足だ。だから君にも来てもらった」

「私に何ができるんです?」

「自分を心配してくれる人が側にいるだけで子供は頑張れるものなんだよ…。いや、非論理的だ、なんて言わないでくれよ」

 そう言って抗弁しかかるR・ロビンの口をマクグーハンは優しく閉ざした。今は言い争っている場合ではなく、マクグーハンに押し切られた形で不承不承、R・ロビンも納得する。勿論、R・ミシェルが心配なのは言うまでもない。

 彼女は機能を停止されたR・ミシェルの、柔らかな巻き毛を優しく撫でると、愁いを帯びた表情で小さな溜息を吐いた。

 やがて、馬車は郊外にあるカフラの宗教センターと辿り着いた。三人は人格バックアップセンターへと急ぎ、そこでR・ミシェルの人格の元となった少女、エインセルの人格と面会させてもらえるよう申請した。

 

「本来はあまり歓迎できない申し出なのですが、完全なオリジナルでなくてもかまわないのであれば、故人とお会いできるよう取り計らいます」

 応対に姿を現したバックアップセンターの職員は、わずかに渋面を作ってそう答えた。

「勿論、オリジナルを立ち上げてもらって致命的な情報劣化が起こるのはこちらとしても本意ではありません。ただ、我々はこの子に自分の人格の元になった人間がどんな人物であったのか、それを見せてやりたいだけなんです…」

「聞けば、故人の記憶が一部再生して人格崩壊を起こしかけているとか。同情はしますが、果たしてオリジナルの人格と対面させて良いものやら。クローン人間はオリジナルの人格と接触すると人格崩壊を起こすと言いますし…」

「現在の技術で造られたオートマトンの思考には柔軟性があります。旧来の人造人間とは比べものにならない。それに、もしこのまま放置して置いても人格崩壊は免れない。この子には自分の出自を理解してそれを乗り越えるしか助かる道はないんです」

 マクグーハンは半ば強引に押し切ると、死人との面会室へと向かった。旧時代の人間なら、死人との面会などと言うとおどろおどろしい装飾の部屋に魔法陣や薄気味悪い口寄せの老婆などを連想するがこの時代の霊媒室は無機質で簡素なものであった。

 白い壁の部屋でドアの対面の壁はガラス張りの制御室。室内は明るく、中央には平たい白い台が備え付けてあり、その中央には更に真鍮色の台。当然蝋燭や魔法陣などの類は一切見当たらない。

 ただ、何かに不安を感じるのか、R・ロビンは居心地悪そうな表情を浮かべ、マクグーハンの肘をきゅっと掴んでいる

『それでは故人を呼び出します…』

 ガラスの向こうからスピーカー越しに声が掛かると、白い台の四方からライトが立ち上がり、RGB、光の三原色が投光される。すると、格子状に像が編み出され、真鍮の壇上に儚げな少女の姿が現れた。

「お父様やお母様以外の方が面会に来られるなんて初めて…。でも、あなた方は何方なのかしら?」

 物憂げな表情を浮かべ、それでも何処か奇妙な三人の来訪者に興味を引かれたような好奇心に満ちた顔を向ける少女。静脈が透けて見えそうなくらい白い肌は何処か病的な美しさがあり、少女を実際の年齢より大人びて見せる。そして暗い炎のような瞳に色素の欠落した髪の毛。

「(遺伝的な欠陥があるのか…?)」

 言いかけて、マクグーハンは言葉を飲み込んだ。少女が夭折した理由はそこにあるのかも知れない。

「初めましてエインセル。こちらの紳士はアンドロイド心理学者のDr・マクグーハン。私はR・ロビンで、こちらで機能を停止しているのはR・ミシェル」

 言葉が出せずにいるマクグーハンの代わりに、R・ロビンが自己紹介をする。

「“R”?」

 エインセルが顔を輝かせる。

「そちらのお二方はアンドロイドでいらっしゃるの?素晴らしいわ、まるで私達と見分けが付かないもの。私が死んでどれ位経ったか長く死んでいると分からなくなるのだけれど、私が死んだ時代ではアンドロイドは動きが不自然でどこかそうと分かったわ。でも、どうしたのかしら?そちらの女の子は眠っているの?」

 問われR・ロビンは頷き、マクグーハンはその場でR・ミシェルを再起動させた。

「この子は少し病気なんです。でも、貴女とお話をすると良くなるかも知れない。少しの間お相手をしてもらえますか?」

「あら。勿論、私でお役に立てることなら何なりと。でも、一体…いえ、込み入ったことをお訊きするのは失礼ですわよね」

「…貴女は死に際してアンドロイドへの人格提供を望みましたね。この子がそのアンドロイドなのです」

 マクグーハンは重い口調で話を切り出し、それを聞いたエインセルの顔からは穏やかな笑みが消え、表情が硬く強張った。

「…つまりその子が」

 何かを言いかけ、言い淀むエインセル。

「人格プログラムという物は喩えブレイン達であっても安定した物を生み出すには時間がかかります。そこであなた方のような提供者から記憶をダウンロードして記憶の洗浄を行い、それを元に人格を形成する。ところがこの子の中で洗浄され、完全に削除された筈のあなたの記憶が甦ってしまった…。つまり、この子は自分が何者か分からなくなり、電子頭脳が処理しきれなくなって混乱に陥ってしまったのです」

「…それが、その子の病気なんですの?」

 エインセルの言葉に、マクグーハンは神妙に頷いた。

「放置すれば電子頭脳は自ら停止してしまいます」

「それで、私は何を…」

「確実なことは申し上げられませんが、この子が貴女とは別個の人格であることを認識させてやれば或いは…」

 エインセルは何を話して良いのか分からずに考え込んだが、やがておもむろに話を始めた。

「聞こえているかしらミシェル。…私の名前はエインセル。知っているかしら、この名前について。貴女が何処まで私の記憶を垣間見たのかは分からないけれど、この名前は“私”と言う意味の古い言葉なのよ。貴女は自分が何者か分からなくなって混乱しているようだけど、貴女は貴女自身の“私”なのよ」

 マクグーハンは鞄の中から計器類を取り出すと、モノクルを通してミシェルの身体機能を監視した。今のところ過剰な電子頭脳の働きは続いており、回復の兆しは見えなかったが、それでもミシェルはエインセルの言葉に興味を引かれたようだった。

「私のお父様が付けてくれた名前なのだけれど、私がお父様にこの名前の由来について訊ねると、決まって“私”と言う物を大切にして欲しいから付けたのだよと教えてくれたわ。それは自分勝手な“私”じゃなくて、みんなの“私”を同じように大切にしなさい、と言うことだったわ。どんな国の言葉でも最初に“私”と言うように、誰にでも“私”と言う物はとても大切なものなの…」

 エインセルは更に続けた。ロビンは神妙な面持ちで少女の言葉に耳を傾け、ミシェルの手を優しく握りしめている。

「だから、貴女も貴女の“私”を大切にして。貴女がこの世に生を受けてから感じた全ての気持ちは貴女の物。喜びも、悲しみも、そして今感じているであろう不安も、みんな貴女の物なのよ。貴女の心に溢れる全ての感情は、みんな貴女が感じていること。貴女の“私”が感じていることなの…」

 エインセルの言葉を黙って聞いていたロビンであったが、たまりかねてミシェルに語り掛ける。

「…あなたは自分が何者なのか常に問い掛けていたわ。その問い掛けを持っているのがあなたなのよ。私が今その存在を感じているのがあなた…」

 

 数刻後、機能が回復し始めたミシェルをエインセルの元へ残し、マクグーハンとロビンは雨上がりの墓地を散策していた。足下に泥濘は残るものの、水たまりには七色の虹が映り込んでいる。

「ミシェルをあのまま残してきて良かったんですか?」

「僕にも分からないけど、多分大丈夫な気がする…」

 苦笑するマクグーハンに、ロビンは呆れた顔を見せた。

「なんて無責任な…」

「そう言わないでくれよ。こんな事は僕だって初めてなんだ。それに、二人が話をすればするほど、お互いの違いを認識するんじゃないか、と思ってね」

「それはつまり、心配はないと言うことなんですね」

「君は白黒をはっきりしないと気が済まないタイプなのかい?言葉を曖昧にしておく美学もあるんだがね…」

「それはつまり、タダのごまかしの逃げ口上なんじゃありません?」

 大袈裟に肩をすくめてみせるマクグーハン。

「あまり苛めないでくれよ…」

 R・ロビンはマクグーハンの戯けた様子に鈴のような笑みをこぼすが、ふと何かを思い、空を見上げた。訝しげにロビンの顔を覗き込むマクグーハン。

「…あの子を何とかしてやりたい一心で此処まで来ましたけれど、これからあの子にはオークションが待っているんですよね。それを思うと、果たしてあの子を治療して良かったのかどうか………」

「自分が幸せかどうかなんて、その人本人にしか分からないことさ。それに、君はどうなんだい?自分が今まで生きてきて、不幸だったと思っているのかい?」

「そうですね、私は辛いことも多く経験してきたと思います。何より、親しい人達を常に見送らなくてはならない自分が嫌になることもあります。それで、自分が不幸だろうかと考えると…」

 ロビンは其処まで言うと言葉の途中で口を閉じた。

「…考えると?」

「………いつか教えて差し上げますわ」

 そう言って微笑みを向けるロビンの姿は、天使にも似て見えた。

 

終わり。

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